気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

不軽菩薩の精神から見れば。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて非活から退会を選び、あらゆる大石寺系教団から離れた私ですが、相変わらず創価学会日蓮正宗の一部の信徒さんからは文字通り「罵詈雑言」を浴びせられることが多いです。
一部紹介すると「バカ」「アホ」「人格障害」「次元が低い」「地獄に堕ちろや」「嘘つき」「天魔」「精神に障害がある」等々、ここに載せるのも憚られるほど酷いものばかりです。


まあ、別に私はそれらの教団から離れているので、外野でやいのやいの言っている分には傍観しています。彼らの文脈の中で、彼らの世界で楽しく過ごしてもらえばいいだけのことで、私を巻き込んでほしくないだけですから。



まあ、なんでもいいんですけど、創価学会大石寺の信徒さんって、法華経の常不軽菩薩品第20を読んだことがないんでしょうか?



常不軽菩薩品第20に何が書いてあるのかなんて、日蓮系信者ならもはや常識かと思うんですが、簡単にかいつまんで書いてみましょう。



威音王仏の時代に生まれた常不軽菩薩は、一切衆生に仏性があるとして、出会う人全てに礼拝をし、決して軽んじることがありませんでした。その時に唱えた言葉がいわゆる「二十四文字の法華経」と言われています。


「我深敬汝等、不敢軽慢、所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏」

「我れ深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以はいかん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」

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このために、不軽菩薩は他の人たちから愚弄され、侮蔑され、木や杖で殴られ、石や瓦をぶつけられたと言われています。これらの難を「杖木瓦石の難」といいます。
法華経によれば、不軽菩薩を侮蔑した人たちは死後に阿鼻地獄に堕ちますが、その後、長い時間の後、再び仏に巡り会うことができたことが説かれています。



とすればですよ。
不軽菩薩の精神から考えれば、法華経を依処とする信徒は、あらゆる人の仏性を信じて礼拝を続けた不軽菩薩の精神を受け継ぐべきかと思います。
それなのに、なぜ創価学会日蓮正宗の信徒は、退会者を侮蔑して憚らず、挙げ句の果ては「地獄に堕ちろ」とか「バカ」とか人格否定までするのでしょう?
それが法華経に説かれた不軽菩薩の振舞いと合致するのでしょうか。
自分たちでやっていることと、法華経に説かれていることが違っているのに、そのことになぜ自覚もできないのでしょう。



私は既に創価学会を退会しました。日蓮正宗からも離れました。ですから関係はありません。
けれど思想・信条は自由ですから、外野でやいのやいの言いたいことを言うのは別に自由だと思っています。
私が理解できないのは、関係ない一般の私を巻き込んで人格否定までして、他者を侮蔑して憚らない精神性の方なのです。それは不軽菩薩の精神にも反する行為だと私は思います。