気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

池田大作の生命尊厳の思想は法華経薬王品と矛盾する。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、先日の記事では法華経薬王品から、自身の身を犠牲にして法華経に供養する姿勢が説かれたことを書きました。


「身を供養することが説かれる法華経薬王品」


これを見てわかる通り、法華経は我が身を犠牲にして供養することが最大の布施であると説かれていまして、生命至上主義の経典とはとても思えません。



ところが創価学会は、生命至上主義をやたら主張しているんですね。その意味でもこの薬王品とは矛盾します。
例えば池田大作氏は、アーノルド・トインビー氏との対談で次のように述べている筈です。



「また、焼身自殺をしたベトナム僧の場合を考えてみますと、自殺による抗議という政治的動機があったとはいえ、思想的背景としては、彼らの実践する南伝仏教のなかに、肉体を不浄なものとする見方があったといえるでしょう。
北伝仏教では、あらゆる人間の生命は尊極なる至宝--すなわち、仏界あるいは仏性--を内包した宝器であると説いています。生命は、いかなる等価物ももたないという意味でも尊厳ですが、そればかりではありません。生命には仏界が潜在しているがゆえに尊厳なのです。」
(A・トインビー/池田大作『二十一世紀への対話』(2)より、186ページ、聖教文庫版、1980年)

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「……仏教には、安楽死を正当化する根拠は何もありません。また、自殺についても、生命は宝器であるという理由から、認めることはできません。」
(同187ページ)

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A・トインビー氏はここでアメリカ軍占領下の南ベトナムで、政治的背景から抗議の意味の焼身自殺したベトナム僧の例を取り上げ、独裁的不当な支配に抵抗し戦ったことを提示します。それに対し、池田大作氏は「生命が宝器である」との理由からそれらは許されないものして考え、またベトナム僧たちの焼身自殺という行為は、南伝仏教に肉体を不浄とする思想的背景があったのではないかという見解を述べています。



これらの池田大作氏の見解は、法華経薬王品の「我が身を犠牲にして法華経に供養する」という考えと相違していることは、一読して明らかなのではないでしょうか。




追記
なお、トインビー対談の第1部第5章10の「自殺と安楽死」の章節の部分は、対談中、池田大作氏とトインビーとで意見が相違することで有名な部分でもあります。一読すると興味深いかもしれません。