気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

身を供養することが説かれる法華経薬王品。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて法華経を「生命の尊厳を説いた経」だと勝手に創価学会は言っておりますが、そもそもそんな根拠はありません。
宝塔を五大と捉えるのは、覚鑁の思想であり、そもそも『阿仏坊御書』は真蹟不存です。また『阿仏坊御書』に説かれる五大(地水火風空)は真言の五輪思想なのです。



まあそれは措くとしても、法華経薬王品には、この身を犠牲にして仏に供えることが説かれていまして、とてもとても生命を尊厳と捉える経典とは思えません。何せ信仰のためなら自らの身を火で焼くことも辞さない教えなのですから。



法華経薬王菩薩本事品第23には以下のように説かれています。

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「其身火燃、千二百歳、過是已後、其身乃尽、一切衆生喜見菩薩如是法供養已、命終之後、復生日月浄明徳仏国中、於浄徳王家、結跏趺坐、忽然化生」
創価学会版『妙法蓮華経並開結』586〜587ページ)



ここに書かれているように、一切衆生喜見菩薩は、自らの身を火で焼いて供養し、その命が終わった後、日月浄明徳仏の国土に忽然として生まれたことが説かれています。法華経薬王品にはこのように身を捨てて供養することを「第一の施」として称賛されているのです。

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そして仏のために自らの肘を焼き、肘を失うことが供養の徳として讃嘆されています。

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法華経が生命の尊厳を説く経文なのであれば、なぜ尊厳であるはずの生命の一部を焼いたりして、命懸けで供養をしなければならないのでしょう。