気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

富士門流に存在した釈迦八幡垂迹説。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は日蓮が、八幡大菩薩を実在の神と捉え、さらにそれが本地釈迦の垂迹として現れたとする神仏習合説をとっていたことを書いてみます。
 
 
もともと、日蓮天照大神八幡大菩薩を実在の神として捉えていたことは、諸抄からわかることであります。
 
天照大神は東条の郷に住まう」
 
日蓮氏神等の諸神も実在の神として認めている」
 
 
日蓮の『四条金吾許御文』(真蹟不存、録内)には以下のような一文があります。
 
 
大隅の国に石体の銘と申す事あり、一つの石われて二つになる、一つの石には八幡と申す二字あり、一つの足の銘には「昔霊鷲山に於て妙法蓮華経を説き今正宮の中にありて大菩薩と示現す」云云、」
(『四条金吾許御文』創価学会旧版御書全集1195ページ)

 
これは「石体権現」「石文御託宣」と言われるもので、大隅国(鹿児島県姶良郡)の正八幡にら八幡大菩薩釈尊垂迹であることを示す石の銘文があったとされます。
さて『四条金吾許御文』は録内とはいえ、真蹟不存です。ところが、同抄のこの文とほぼ同趣旨の内容が日興の『神天上勘文』に存在しているのです。
 
「サレハ筑紫ノ大隅国石体権現ト申ハ、是レ正八幡ニテ御座ス也。或時供僧神人引分レ、当社ノ本地ハ釈尊ト申ス、有人ハ弥陀ト申ス。有ル時両方諍論サタカナラス。而ルニ八幡ノ大庭ナル大石二分ニ破レテ、一方ニハ八幡ト云文字有之。一方ニ有銘文。昔在霊鷲山妙法蓮華経、今在正宮中示現大菩薩文。此時ニ諸人ノ論止ヌ。本地釈尊ナレハ、昔在霊山ニシテ法華経ヲ説キ今八幡現シ給事無疑。本迹雖殊不思議一ナリ。」
(『神天上勘文』、『日興上人全集』より257ページ)

日興述作とされる『神天上勘文』に、先ほどの石体権現の件が同じように書かれ、しかもここでは「本地釈尊」が「外用の善神」として「八幡と現じ給うこと疑うなかれ」とまで書かれています。
なおこの『神天上勘文』は日興真蹟が現存しません。『日興上人全集』では写本として京都要法寺日辰のものが現存し、また『日蓮宗宗学全書』では大石寺の了玄日精の写本が底本とされています。
 
 
真蹟不存ゆえに、日蓮四条金吾許御文』また日興『神天上勘文』が後世の創作で、日蓮日興の思想を正確に伝えていない可能性もありますが、少なくとも『神天上勘文』の写本は京都要法寺日辰や大石寺日精に伝わっています。
したがって、富士門流の古来の教義には八幡大菩薩を釈迦の垂迹と捉え、その本地が一つであるとする神仏習合の教えが実在していたことが推察できることになります。