気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮の神天上の法門。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、日蓮の『立正安国論』における主張の中心には「神天上の法門」というものがあります。
要するに世間の人々が正法に背く故に、神々が法味に飢えて守護すべき国土を棄てて天上の本地に戻ってしまい、その代わりとして神社や仏閣には悪鬼が住むようになるというものです。



「倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。」
日蓮立正安国論創価学会版御書全集17ページ)



ただ日蓮がここで、その論拠として挙げる経文は金光明経、大集経、仁王経、薬師経の四経で、なぜか法華経以前の爾前経からの引用というのが、些か説得力に欠けるように思われます。
まあ、それはともかくとして、日蓮がここで「神天上の法門」を主張し、世の人々が正法である法華経を信じなければ、国土を守護すべき神が去ってしまうということを述べていることは理解できるでしょう。日蓮にあっては神は存在するものであり、正法に帰依するからこそ、法味を求めて神が国土を守護するということが日蓮の趣旨なのです。つまり日蓮にあっては神の存在は疑いのないものということになります。



さてそう考えると、北山本門寺棟札で「三堂一時造立」ということが述べられ、天照大神垂迹堂が造立されたこと、またかつて大石寺堂内にもまた垂迹堂が実在していたことは、至って自然なことなのかと思います。



「法華垂迹天照大神宮のこと」

「神社建立・本尊奉納は大石寺本来の教義」

「日興の『本門寺根源』と石川氏」



さて、このような神の実在と法華経の関連性について、創価学会は果たしてどのように考えているのか、過去の教義との整合性やその齟齬についての説明が全くされません。
私個人としては、日蓮の論理についていけないところも多く、法華経を中心とした国家を理想とする故に国体としての天皇が守護されるという考え方に批判的です。またその立場を恐らく取るであろう、日蓮正宗大石寺顕正会等にも全く同意できません。



しかしながら、日蓮の『新尼御前御返事』等を読めば、日蓮天照大神の実在を信じ、法華経を蔑ろにする故に神が天皇を守護しないのだとする考えを日蓮が取っていることは瞭然です。



天照大神は東条の郷に住まう」



そのような日蓮の思想性に対して、創価学会は完全に頬っ被りをして、過去の日蓮正宗の偽作教義との齟齬も説明せず、日蓮の思想を単なる「生命のリズム」とか「宇宙の法」とか言い換えるだけなら、日蓮の末流でさえないと私は思います。