いつもみなさん、ありがとうございます。
さて昭和49年(1974年)に発刊された『私の入信動機』の北条浩氏(創価学会第4代会長)のものを読んでいて、ちょっと不思議に思いました。
今見ると「喘息は過去の法華誹謗の業病」とか「念仏を唱えるより南無妙法蓮華経と唱える方が功徳はある」とか、現代では到底公にできないような発言に満ち満ちているのですが、私が気になったのは実際に入信するきっかけになった柏原ヤス氏の指導内容です。
ここで、北条浩は弟を叱咤してもらおうと思い、柏原ヤスを連れてきたのですが、この時に柏原の批判は北条浩本人に向けられたそうです。その時の彼女の発言には次のようにあります。
「弟一人指導できずに、兄貴といえるか。だらしがない。兄と弟は身と影です。兄貴がチャンとなれば弟はチャンとなります。」
「それでもあんたは男か。そんなだらしない男が軍隊に行ったから日本は負けたんだ。」
なかなか強烈な指導ですが、私が気になったのはこの指導の二つ目の方です。
「だらしない男が軍隊に行ったから日本は(戦争に)負けた」ということを、当時の最高幹部の一人である柏原ヤスが述べているんですね。
感情的になったが故の語気強い指導だったのかもしれませんが、「お前がだらしなかったから戦争に負けたんだ」と言わんばかりの発言です。
事実、戸田城聖の書いた『人間革命』では「戦争に勝つ」ことを強調している部分がありますし、また以前書いたように戸田城聖はかつて日本帝国海軍を日中戦争の最中に「帝国海軍に心からなる感謝を捧げようではないか」と絶賛までしていました。
「戸田城聖氏の帝国海軍への賛辞」
「興亜聖業とは」
「通牒のこと」
「生活革新同盟倶楽部と創価光学レンズ製作所」
戦時中の創価学会は、上記記事の史料からもわかるように、反戦平和思想の団体ではありませんでした。柏原ヤス氏の北条浩氏に対する発言は、当時の創価学会が大石寺と同様に戦争を肯定し、戦争に勝つために国家諫暁、布教活動をしていたことをよく示しているものです。もしも彼女が反戦平和思想を持つ団体の最高幹部であったのなら、「だらしない男がいたから戦争に負けたんだ」という発言は普通は出てこない筈です。