気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

丑寅勤行の時間について。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて少し前に大石寺の謎の教義「丑寅勤行」について書いてみました。



丑寅勤行について」



個人的に丑寅の時刻(丑は午前1時〜3時、寅は午前3時〜5時にあたる)に毎日行われる日蓮正宗独自の勤行ですが、由来が全く不明で、しかも丑寅の時刻という、非常に不吉な時間に勤行をするということが私個人的には非常に不可解です。



ところで正信会僧侶で三寶院住職の廣田頼道氏の記録によりますと、どうもこの「丑寅勤行」の時間が歴史的にまちまちであるようです。



廣田氏が小僧として大石寺に上がった時、所化は4グループ、小僧は前半と後半で合計8グループに分かれ、所化は4日に一度、小僧は8日に一度丑寅勤行が回ってくるという取り決めになっていました。
廣田氏によれば、大石寺64世水谷日昇、65世堀米日淳の時代は「午前1時」から丑寅勤行は行われていたようです。しかしながら御会式等の大法要が入ると、丑寅勤行は「午前3時」から行われていたとのこと。しかも御会式の時の丑寅勤行では方便品の世雄偈を読誦しますが、通常はそれさえも行われていなかったのだそうです。


66世の細井日達の頃になると、丑寅勤行は基本12時からの開始になり、日達の弟子として本山に入った当時の小僧たちの感覚では「丑寅勤行は12時に行うもの」という感覚しかなかったとのこと。
確かに私たち、当時の創価学会員も「丑寅勤行」といえば「夜中の12時にやるもの」という認識があったように記憶しています。



67世の阿部日顕の時代になって、丑寅勤行は「午前2時」になり、その後、現在の大石寺の公式ホームページで確認したところ、現在の大石寺丑寅勤行は「午前2時半」に行われるとのことでした。

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私個人は大石寺の教義になんら共感を抱かないのですが、もしも「丑寅勤行」なるものが大石寺に伝わる由緒ある教義、儀式であるのならば、きちんと時間を統一すべきであると思いますし、そもそも法主が変わると丑寅勤行の時間も変わるのかということもきちんと説明すべきであると思います。




参考文献
廣田頼道「丑寅勤行について考える」『芝川』第11号所収、1994年7月