いつもみなさん、ありがとうございます。
婦人部と女子部が合流して「女性部」になったことも、私からみれば別段大したことでもないです(そもそも私が活動家だった頃から女子部なんてのは絶滅危惧種でした。だいたい部で一人の活動家が立てられないんですから。今は本部や区圏で一人でも厳しい地方があるそうですが)。
「励まし運動」なんて一件一件こちらに回って来られても迷惑なだけですし。
で、大石寺の信徒さんと言えば、口を開けば「ニセ本尊」とかしか言わない。会うだけで閉口してきます(笑)。
私が活動家時代に感じてきた創価学会の魅力というものは「同世代間、また異世代間の相互扶助組織」という側面でした。
以前にもブログで書いたように、かつて創価学会は地方にセーフティネットを張り巡らせ、経済的に困窮したり、病気で苦しんだりしている人に個別に悩みを聞いたり、その悩みを拾い上げる相互扶助組織、セーフティネット的な役割を担っていたのだと思います。
「存在意義の終焉」
そんな歴史的意義を失った後、創価学会本体としては「どのように創価学会を改革していくか」「どのような意義を社会に訴えていくのか」という視点が欠落していたように思います。いや、もしかしたらあったのかもしれませんが、結局のところ「池田大作先生を永遠の指導者に」とか、かつての52年路線の創価学会絶対主義に走り、新規の会員を獲得することが徐々にできなくなってしまいました。
新規の入会が新生児か分世帯くらいしかない現状は、すでに2000年代くらいから目に見えて始まっていました。創価学会総体が打った手は青年部世代の底上げでした。ちょうど私たちの世代でした。
私たちは居場所を求めていましたから、創価学会で自由に活動できることが当時はそれなりに楽しかったんですね。
しかし青年部世代を入会させるために、青年部のみのペンダント型携帯本尊授与が始まりましたが、それで爆発的に入会が進んだ事例は聞いたことがありません。とある方面では、このペンダント型携帯本尊を、ビラかティッシュ配りのようにばら撒いてしまったところがあったようで、当時の幹部は「勝てばいいんだ」「数字目標を達成したら勝ちだ」みたいなことを言われていたようです。まあ、当時の幹部からの伝聞なので本当かどうかは知りませんが、さもありなんとは思います。
要するに青年世代の新規の会員を取り込むため「どう魅力ある組織を再構築するのか」という思索がないんですね。で、「池田先生は永遠の指導者」みたいな52年路線の焼き直しになってしまったと。
「七重の相対」とか「八重の相対」とか訳のわからないことを言っていた正木正明、波田地克利ら周辺も、第一線からは退けられ(波田地氏は除名ですね)ましたが、結局同じような池田大作絶対の教義を唱えるしかない信濃町になってしまいました。
2000年代は創価学会の新世代を当時象徴するような青年部リーダーもいましたが、みんなダメになってしまいました。具体的に言うと弓谷照彦、遠山清彦などですね。弓谷氏にはなんどか本人にもお会いしましたが、池田大作氏が次期会長候補と白羽の矢を立てたサラブレッド的な人物として知られていました。弓谷氏はピエール・ブルデューの理論社会学を専門としていまして、フランス語に堪能でした。創価大学の中野毅氏も彼を高く評価していました。
ところが、件のスキャンダルで彼はあえなく失脚することとなります。今はきっと信濃町の外郭団体で平和に暮らされていることと思います。
最近は弓谷氏の失脚の影響か、さらに教団擁護的な論陣を張る傾向が強まりました。創価大学ですと、伊藤貴雄氏や前田幸男氏とかでしょうか。宮田幸一氏や中野毅氏も教団擁護的な論陣で創価学会本体を外部の批判から守ってきた人ですが、その後継ができつつあります。
しかしながら、そのような教団擁護をしつつ、三代会長を永遠の指導者として祭り上げるだけで、果たして魅力ある創価学会が再構築し得るでしょうか。私はできないと思います。
新規の大量入会も望めない、未来部も増えない。未来部は1学年ですでに1万人を割っている世代もありまして、少年少女部、中等部、高等部を全部合わせて15万人を既に割りました。信濃町に危機感はないのでしょうかね。将来的には創価学園や創価大学も立ち行かなくなります。
今日の聖教新聞の「わが友に贈る」には「未来部育成こそ次代を開く聖業だ。」とありますけど、そもそも今の未来部だけを100%活動家に育てても間に合わないのです。そもそも統監が上の世代に比して少なすぎるのですから。
多種多様な考え方を持つ人材も組織内にはかつて多くいた筈ですが、1990年代〜2000年代の創価学会は、組織にまだ余力があるうちにそのような多様な思想を持つ人材を活かし切ることができませんでした。
例えば教義的に戒壇本尊の真偽問題があるなら、素直にそのことを認めて教団として謝罪し、日蓮宗や新宗連と和解することも創価学会は視野に入れてもいい筈です。だいたい宗教社会学会では宮田幸一氏や中野毅氏も多く他の宗派の方々と議論をされているわけですから。正信会の花野充道氏や本化妙宗連盟の高橋智經氏とも法華コモンズでは普通に話もされている筈です。
過去に誤りがあるなら、そのことは隠そうとしないで、認めた上で先に進むべきです。それをやらないからこそ、例えば高橋篤史氏が『新教』や『価値創造』などの史料から、かつての創価学会の問題点を炙り出し、それに対して沈黙しかできない創価学会という姿勢が問題になってしまうのだと思います。
創価学会は2000年代半ばから、外資系コンサルティング会社「アクセンチュア」と契約をし、法人改革を進めましたが、私が最大の問題と感じるものこそ「アーカイブ事業」であり、規範となる資料については創価学会の「認定委員会」の承認を得なければならないとしたことです。つまり創価学会の史料の内部公開に関しては、個々の自由にできるのではなく、認定委員会の許可がなければ表には出せないことになったということです。
「経営コンサルティング会社との契約」
まあ、すでに現在の信濃町・創価学会本体のやられていることが、単に組織の「延命」であり、永続的な発展ではないと仮定するなら、こう言った考えもまだわかるのですが、そうすると創価学会は自由な議論を自ら封じ込め、永続的に発展する道を自ら放棄したと私の目には見えます。
しかしながら、多様な意見を切り捨てて来て、自分たちに都合の悪い史実に蓋をし、自らの過去の誤りも率直に認めることができない、それでいて「何が悪いのか」と罪悪感さえ何も感じないような組織に、私は未来の発展などないと思います。そのことを青年部世代と未来部世代の統監数は如実に物語っているのではないでしょうか。
「未来部を育てよう」という教団の呼びかけは布教の方法として正しいように聞こえますが、未来部世代の育成だけでは、教団の教勢はジリ貧になって終わります。それは青年部世代の新規の入会がもはや望めないことを知って、諦めた教団側が打った「延命策」としか私には思えません。