気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

青年層が楽しいと感じられない組織。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、創価学会は青年層が激減し、すでに衰退を待つだけの組織に成り果ててきたのですが、なぜ青年層の入会は増えないのでしょう。



私が男子部を引退する直前の、とある組織内に感じた違和感をそのまま書いてみましょう。



1、若い世代がいない

私は広宣部の活動を長くしていた関係で、有り余るほどの資料や文献を集めていました。
私は男子部の先輩たちからそれらを多く学んだので、この後は後継の若い人たちに託していくものだと思っていました。正直当時は広宣部の資料を個人会館に寄付して、若い世代の育成さえも考えていたほどです。
ところが、若い人たちがある時期から激減しました。数少ない活動家は御書も読まない、仕事もしていない、鬱や適応障害等の精神疾患を抱えている、そんな人たちばかりで私も何も伝えることができません。
未来部でさまざまなアトラクションをやったり、また未来部の会合で使えそうな資料もパソコンにたくさん入れてありましたが、それも誰にも伝えられず活用もされません。未来部の会合にきた新参の女子部の責任者が翌月にはもう未活動になるほどです。当時から総県女子部長が県少女部長と兼任で、すでに当時40歳近い方でした。


2、高齢の方ばかり

地区幹部の殆どが高齢者、しかも70歳以上の人ばかり。新しい参加者など1年以上誰もいない。たまに来るのは他本部からの派遣幹部。たまに婦人部の子どもが連れられてきますが、小学校高学年あたりから会合には出なくなります。地方に行けば未来部の統監など小中高全部合わせて本部で10人もいない組織に成り果てました。
顔を合わせると、選挙の話ばかり。どこそこに友人はいないか、連絡は取れないか、そんな話ばかりでうんざりです。大きな会合に行けば行ったで高齢の幹部が選挙の勝利を叫んで「池田先生にお応えしよう」と言うだけの集まりです。


3、教学の研鑽がない

組織全体に学びがなくなりました。真摯に仏教の経典を読むとか、そんなこともしません。『大白蓮華』の御書もわずか数行を読むだけ。仏教を知りたいと思っても誰も知らない。幹部に聞いても「私は御書が苦手で」くらいしか言えない。信濃町からの出向幹部でさえ御書を知らない。『観心本尊抄』に何が書いてあるのかある幹部に聞いてみたら「よくわからない」と言われて衝撃を受けました。小説『人間革命』でさえ青年層には知らない人が多く、読む本もほとんどなくなりました。


4、楽しくない

文化祭や遊説隊、未来部のアトラクション等、昔、若い人たちがたくさん集まってワイワイやることが意外と創価学会にはありました。
皆で集まってワイワイやると楽しいものです。
今はそれが全くありません。
別にそれらの行事が正しかったと言うつもりもないのですが、ただ文化祭もない、遊説隊も集まらない、ウグイス嬢も高齢の婦人部しかいない、未来部の会合も高齢者が中心、こんなんじゃ面白い訳がありません。若い人たちなど、会合に行きたくなくなります。
当たり前のことです。若い人たちが集まってワイワイできる組織は創価学会にはもうありません。
2000年代に組織の改変があり、地方組織を分断して圏(ゾーン)を分県化したことがありましたが、そのせいか、各組織の青年部活動家たちが個々に分断されてしまい、一人一人が孤立する事態となりました。上の組織幹部からすれば、組織を拡大する原動力にしたかったのかもしれませんが、完全に失敗だったと思います。


4、お金の話ばかりする

財務の時期になると、広布部員の申し込みで手広く家庭訪問してきます。お金を出すことが正しい活動だと言わんばかりです。
地区協議会に行けば、書籍の購入があり誰かが買わなければいけません。選挙のシーズンになれば公明パンフやら青年パンフやらを1部100円で何十部も部として買わないといけません。私が部長時代に自分が身銭を切って部で数百部の青年パンフを買いました。民音のチケットが来ると「誰か行く人いませんか?」と聞かれ、後で代金を払わないと行けません。何の罰ゲームかと思いました。コンサートも、知らない演歌歌手だったり、南米かどこかの民族舞踊とか言われても何の興味もわきませんでした。




まあ、そんなわけで、こんな魅力のなくなった組織に若い人たちが大挙して入る筈がないのです。おまけにネットで創価学会に都合の悪い情報や事実は検索一発で山ほど出てきます。若い人ほどネットには慣れているものです。
日蓮正宗大石寺顕正会等、大石寺系教団も、いずれ高齢化の波にさらわれ、創価学会と同じ道を辿ることになります。同穴の狢であとは時間の問題に過ぎないのだと思います。