いつもみなさん、ありがとうございます。
さて、何度かブログ記事にも書きましたが、戦後の創価学会は、すでに歴史的な役割を終えていると、個人的には考えています。
「歴史的に必要のなくなった組織」
「存在意義の終焉」
「教団の延命」
戦後、急激な社会移動により、都市部の住宅不足解消のために団地が多く作られます。日本社会は戦後、「長屋社会」から「団地社会」に移行していくのです。
言わば団地は社会移動の受け皿と言ってよく、旧来の長屋社会の論理から取り残され、地域から都市部に移住してきた人々が、失われた共同体感覚を補完する互助組織として、創価学会に多く入会し、その組織を拡大していったのだと思います。
実際、私の両親も地方から都内に仕事で出てきた者たちで、創価学会内部で出会って結婚することになります。当時はそのような例が少なからずあったのです。
実際、私の幼少時も両親は都営住宅に住んでいまして、自宅は座談会や選挙の拠点としても使われていました。
1990〜2000年代前後から、住民の高齢化により、徐々に公営住宅や公団住宅、団地の自治会役員のなり手が不足してくるようになります。そこで多くの創価学会員が自治会役員に名乗りをあげ、存在感を発揮するようになります。
団地の自治会役員に多く創価学会員がなるという印象を多くの方々が語ることはありますが、実際のデータとして示されることはあまりありませんでした。九州産業大学の小池高史氏はここに着目し、創価学会の九州団地部の収集したデータを2002年、2011年、2014年と集めまして、それを論文の中で公開しています(データ提供は創価学会九州団地部長の田中直人氏によります)。
それによりますと、福岡県ではおよそ750人の創価学会員がなんらかの自治会役員を務めていまして、自治会長が創価学会員である割合が25.1%であることを述べています。実に福岡県の団地自治会長の4人に1人が創価学会員であることをデータが示していることになります。
つまり創価学会は、戦後「団地社会」の成立に伴い、地方から都市部に出てきて共同体感覚を失って孤立していた者たちが多く入会し、団地社会としての新たなコミュニティ形成を果たしてきた人々だったのだということです。
ところで、現在ではどうかと言うと、もはやそのようなコミュニティは求められていません。
そもそもインターネット、SNSがある中で、一人でも孤立感を感じずに過ごせる人たちが増加しました。「村八分」という言葉はもはや死語になり、子どもは地元には戻らないのも普通です。寺の檀家制度ももはや機能などしていません。
つまり創価学会の地域の共同体意識は戦後、昭和の団地社会移行の過程で要求されたものに過ぎず、今となってはそのような互助組織は存在意義を失っているのです。つまり創価学会の組織などなくても誰も困らないのです。そのようなコミュニティを誰も必要としていないのですから。
そのようなコミュニティ意識の終焉により、地域組織の存在意義を既に失っていることを、果たしてどれだけ多くの信濃町の創価学会幹部たちが理解していることでしょうか。私はほとんど理解していないと思います。もしくは理解しようとせずに現実から目を背けているのかもしれません。
参考文献