いつもみなさん、ありがとうございます。
ただそのための方法論がもはや「一人一人への励まし」とか「丁寧な家庭訪問」とか「壮年婦人一体となった励まし」とか、今までの方法論の延長線上でしか語れなくなっているのです。
しかし創価学会も大きくなったから、そんな方法論は取れないと、幹部の誰もがわかっているのです。
私から言わせれば、それならなぜ過去の非常識な行為を反省して謝罪を表明しないのでしょう。そのことをきちんと公式に述べないことは過去を誤魔化すことと変わりません。
それがない限り、創価学会に対する世間の目は厳しいまま変わらないと思います。
創価学会という教団が本気で変わろうとする、その姿勢を示さなければ、新しい信徒の獲得などできる筈もありません。
過去の過ちを認めることは勇気の必要なことです。しかしそれをしなければいけない。過去の否定の上で新しいものを生み出さないのであれば、歴史的に用済みになっていくだけです。
トマス・クーンは『科学革命の構造』の中で、歴史にパラダイムという概念を導入しました。歴史には歴史的な文脈が存在し、そこには歴史の枠組みと言うべきパラダイムが存在します。パラダイムに則ったものが、その時の歴史においてもてはやされますが、歴史が過ぎ去ってしまって、過去のパラダイムになってしまえば消え去っていくものです。
例えばファッション、流行りの服などがわかりやすい例かもしれません。何十年も前の写真を見れば、その当時の流行りのスタイルを見ることができますが、今からすれば古臭い違和感のあるファッションにしか見えないでしょう。当時だから流行った、歴史的なパラダイムがそこにあるのです。
その結果、どうなったか。
社会党は今ではもはや風前の灯と言ってよいほどの弱小政党になりました。有権者の受け皿となるべき魅力を失ったのです。歴史的な役割を終えたのだと私は思っています。もはや社会党は歴史のパラダイムに合わないのです。
もはや創価学会は歴史的な役割を終えたのです。
そしてそのことに創価学会幹部たちはうすうす気付きながら、事実から目を背けているのだと私は思います。
だからこそ、過去の総括がないまま先に進もうとしても、あらゆる策は失敗すると思います。
繰り返しますが、創価学会の歴史的役割はすでに終わっているのです。
事態は深刻なものだと早めに知った方がよいでしょう。
活動家の方は、未活動や非活を選んでも良いので早めに組織から抜けてください。