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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『与日目日華書』について。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺開山の白蓮阿闍梨日興の著作として『与日目日華書』なるものの存在が知られています。
今回はこの全文を紹介してみます。画像は『日興上人全集(池田令道他編、興風談所、平成8年)からのものです。
この文書は、『日蓮宗宗学全書』第2巻にも収録されています。また『鎌倉遺文』や『静岡県史』にも掲載されているのですが、肝心の大石寺の『日蓮正宗歴代法主全書』にはなぜか収録されていません。なお現存する古写本は大石寺に存在します。



「我が滅後門弟末流於ては随身無きに、広宣流布時機遠と思う可し。日毫は日目の補処たるに依り、日華は日尊補処に依る可し。日仙は讃州に命して而開堂す。余は皆我が末流異体同心に本門の流布を待つ可き也。
正慶元年九月      日興判
日目御房
日華御房
右此相承既に日目日華に遺る。富士山本門寺の末流、日目・日華・日毫・日尊等に給仕す可し。是れ日興に給仕するならく耳。
            日興判
満山衆徒中」
(『日興上人全集』336ページ)

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ここで「日毫」と書いてあるものは『日興上人全集』の注記によれば「日郷」のことを指します。
内容は読んで文字の通りですが、日興本人が日目の後継者を日郷(保田妙本寺)であるとし、日尊(京都要法寺)の後継者を日華(富士妙蓮寺)であると定めています。しかもその者たちも含め、末流に「異体同心」に本門流布の時を待つべきだと戒めています。
そしてこの文書の写本が大石寺に現存しています。
さらにはこの文書の存在を『日蓮宗宗学全書』も『鎌倉遺文』も『静岡県史』もきちんと認めて掲載しているのに、ただ一つ、日蓮正宗の『歴代法主全書』にだけ収録されていません。



教団側に都合が悪い史料だろうと言うのは容易に推察されますが、史料は冷静に客観的に提示されるべきものであって、大石寺の『歴代法主全書』への非掲載という態度は誠実なものでないばかりか、むしろ大石寺開山の日興の軽視にも繋がりかねないと私は思います。