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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺に墓所は存在しなかった。

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いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺は自山の正統性を主張するのに『日興跡條條事』という文献を引用しますが、これがまた文書そのものに改竄された跡があり、日興の真蹟であることに大いに疑問符がつけられています。


「日興跡條條事について」


ところでこの『日興跡條條事』中には「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し」という一文が出てきます。
ところが、草創期の大石寺には「墓所」は存在していません。


冒頭の画像は、大石寺14世日主の『大石寺図絵』(日蓮正宗歴代法主全書1-468、正本大石寺蔵)ですが、墓所は存在していません。
また以前、ブログで書きましたが、大石寺3祖日目の墓は大石寺には存在せず、日尊と日郷が鳥辺野に日目の墓地を購入し、拡張した事実が確認できるだけです。日郷の墓所の土地購入・売券の記録は富士宗学要集にも残されています(富要8-69〜71)し、このことは富士年表にも記載されています。


「日目の墓のこと」


そもそも日興は『原殿御返事』の中で、身延山を出る際に何も持ち出していません。また誤って持ってきてしまった涅槃経2巻を日興はわざわざ身延に返却しています。したがって日蓮の遺骨を日興が身延から持ち出した可能性がそもそも低いと思います。


「日興は身延から何も持ち出していない」


つまり草創期の大石寺は、日蓮の遺骨さえ存在せず、日蓮や日目の墓所さえ用意できなかったということになります。


話を元に戻して、『日興跡條條事』の「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し」という一文は、単なる後世の創作であり、後世の者が意図的に文書を作成、また改変した可能性が高く、同文書の信用性は極めて低いと言わざるを得ないかと思います。