気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

名誉ある孤立。





いつもみなさん、ありがとうございます。




さてネット界隈を見る限り、現今の創価学会本部、信濃町の執行部を批判される会員さんが少しずつ増えているように感じます。


彼らの中では「信濃町の執行部が池田大作氏の心を失念した」故に批判をし、「再び池田大作氏の心を取り戻した組織の再興を」という主張をされている人が多いように見受けられます。


ここからは個人的な意見なのですが、それならさっさと創価学会などという組織を見切ってしまって、早く別グループなり別の派なりを立ち上げてしまえばよいだけなのかと思います。


そもそも日興が身延を離山した経緯について、昔からの熱心な創価学会の活動家さんなら知らないはずがないでしょう。


身延の沢を罷りいで候こと面目なさ、本意なさ申し尽くし難く候へども、打ち還し案じ候へば、いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候らへ。さりともと思ひ奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候らひぬ。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当て覚え候へば、本意忘るることなく候。又君達はいずれも正義を御存知候へば悦びいり候。
(日興『原殿御返事』編年体御書1733〜1734ページ、創価学会


簡単に通解を載せてみましょう。


身延の沢を出ることは師匠日蓮へ顔向け出来ないことであり、申し訳ない気持ち、筆舌に尽くし難いが、繰り返し考えるに、いずれの所にあろうと聖人の御義を正しく次の世に伝え、世に打ち立てて行くことが肝要である。しかし弟子たちは皆、悉く師匠に敵対してしまった。日興ただ一人が本師の正義を持ち、本懐を成就すべき役目を担っていると思えば、決して忘れる事はない。また、あなた方がこのような状況の中でも、師の正義をお分かりになっていることは嬉しい限りである。」


これが日興の身延を離れた理由であったはずです。
日興だけが師匠日蓮の教えを信じて守るために、あえて身延を離れた。その思いを「面目なさ、本意なさ、申し尽くし難く候へども」と日興は述べています。


もし池田大作氏の正統を主張される信徒さんがおられて「池田氏の心を失った」故に彼らが信濃町執行部を批判されているのだとすれば、日興の心を自身の心として、信濃町から離れて独自路線、孤立する道を選ぶべきかと思います。それをしてきたのが日興なのであって、彼らが自分たちを日興の正統であると主張されるのであれば、論理的には彼らは自分が正しいと思う道に素直に、名誉ある孤立の道を選べばよいだけなのかと私などは思います。