気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『当体蓮華抄』と『十八円満抄』




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日の記事、「最蓮房宛ての日蓮遺文について」の続きです。


「最蓮房宛ての日蓮遺文について」


上の記事では、創価学会版御書全集に収録されている『十八円満抄』を見ると、本文中に「当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く」(創価学会版御書1367ページ)と書かれており、この『十八円満抄』が『当体蓮華抄』と関係が深いことが推察されることを書いています。



そんな訳で改めて『当体蓮華抄』を平楽寺版昭和新修で読んでみました。
すると、やはり『当体蓮華抄』の中でもきちんと「十八円満」について言及されているんですね。
以下のように書かれています。

f:id:watabeshinjun:20220109110901j:plain


「又五重玄義の事は伝教・天台の釈分明なり。伝教大師修善寺相伝の日記』とて四帖あるなり。其の中に五重玄義を委しく釈し給へり。日蓮又別に記す其れを委しく見るべし。伝教大師四帖の書習ふべし。先に御存知たりと雖も、別して書き出しまゐらせ候。蓮華の沙汰彼を見給ふべし。蓮に於て十八円満等の法門天台宗の奥義なり。御相伝の如し」
(『当体蓮華抄』昭和新修日蓮上人遺文全集、2088ページ)

f:id:watabeshinjun:20220109110920j:plain




きちんと末文に「十八円満等の法門」と書かれています。ここでは五重玄義の「蓮」の文字から「十八円満」の法門が起こることが記されています。
そして『十八円満抄』の冒頭には、きちんとこれに対応して「蓮」の一字のことから書き起こされているのです。

f:id:watabeshinjun:20220109110948j:plain

「問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり」
(『十八円満抄』創価学会版御書全集、1362ページ)



私個人は、最蓮房宛ての日蓮遺文とされるものは、真蹟不存もあり、真偽未決とされるべきと考えます。
しかしながら、もしも日蓮の御書全集に『十八円満抄』を載せるなら、関係が深いと考えられる『当体蓮華抄』も併せて収録すべきなのだと思います。
そう言った読者の便を考えない編集態度に私は違和感を覚えます。
創価学会大石寺の信徒たちの多くは『当体蓮華抄』の存在さえ知らないでしょうが、もしかすると創価学会教学部の人たちでさえ、日蓮の遺文に関して基礎的な素養が欠落しているのかもしれませんね。

















悪役扱いされた忍性。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日の聖教新聞(R4.1.9)の12面には「子どもと学ぶ日蓮大聖人の生涯」と題した記事が載っていました。

f:id:watabeshinjun:20220109094942j:plain



この絵を見て、私は非常な違和感を覚えました。みなさんはどう感じるでしょうか。



日蓮極楽寺良観(忍性)の間で「祈雨の勝負」をしたことは、日蓮系の信徒たちにはよく知られたところです。
それはわかるのですが、この絵で忍性は完全に「悪役」として描かれています。



房名・極楽寺良観として知られる忍性は、実は鎌倉時代、貧民やハンセン病患者等、社会的弱者の救済にあたった人物として知られています。
彼は「非人」とされたハンセン病患者等の人たちに衣服を与え、病屋や浴室を築造した人物です。
そもそも「祈雨の法で効験がなかったことを日蓮に嘲弄されて、怒った忍性が幕府側に讒言した」というのは、単なる日蓮宗側の言い伝えに過ぎず、忍性は日蓮を相手にしなかったともされています。


そもそも創価学会は、民衆仏法の教団であることを自称し、公明党は弱者救済、大衆政党がその本質であった筈です。
とするなら、弱者救済に尽くした忍性に対し、評価を保留するならともかくとして、日蓮宗系の言い伝えをそのままに悪役扱いをするというのは如何なものでしょうか。
きちんと過去の過ちを認めて、忍性の功績を再評価しても良いのではないかと、私などは思います。















日蓮出世の本懐は「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像」である。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的の意味として、語られることが多いのですが、創価学会大石寺は『聖人御難事』の「余は二十七年なり」の一文から、それらが「弘安2年に果たされた」とか「それこそが弘安2年の戒壇本尊だ」と言うアクロバティックな解釈をしてきます。



「『余は二十七年なり』って」



この「二十七年なり」を「今から出世の本懐を遂げるのだ」と読む解釈は、かなり文意からも無理がありまして、不自然な読解であることは上の記事を見ればおわかり頂けると思います。




ところで、この「出世の本懐」が具体的に何なのかは、結局、この『聖人御難事』でも説明されていません。
実は、この「出世の本懐」が何かは、日興の『原殿御返事』に具体的に書かれています。

f:id:watabeshinjun:20220109091024j:plain


「此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御微力を以て形の如く造立し奉らんと思召し立ち候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、責めて故聖人安置の仏にて候はばさも候なん。それも其の仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。」
編年体日蓮大聖人御書』創価学会版、1732〜1733ページ)



引用の冒頭で、明確に「日蓮聖人御出世の本懐」が「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像」であることが、明確に書かれています。
もしも大石寺が主張するように、日蓮の「出世の本懐」が「弘安2年戒壇本尊」なのであれば、なぜわざわざ日興本人が「出世の本懐」を「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像」と書く必要があるのでしょうか? 単に「出世の本懐戒壇本尊」と書けばよいだけです。
また最近の創価学会が主張するように、「出世の本懐」は「熱原の法難を契機として民衆仏法を構築したこと」なのだとするなら、日興がここに書き残した「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像」が「民衆仏法」の本体だと言うことになるのでしょうか?



日蓮や日興が書いて遺してある文から素直に読み解けば、日蓮や日興の意図が理解できる筈です。それを避け、日蓮や日興の遺文を意図的に歪曲し、すり替え、それでいて自分たちが「日蓮や日興の正統」だと主張するなら、単なる宗祖開祖の利用に過ぎないと私は思います。




「日興は仏像本尊を認めている」









『授職灌頂口伝抄』と『得受職人功徳法門抄』の扱い。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて先日のブログで書いた、最蓮房宛の日蓮遺文についての続きです。

「最蓮房宛ての日蓮遺文について」

先日の記事では最蓮房宛の遺文全てに日蓮真蹟が現存せず、古写本も久遠寺日進等のものが一部残るのみであること、それにも関わらず創価学会版御書では、関連する最蓮房宛の遺文を全て収録していないことを述べました。今回はその続きになります。



文永9年4月13日とされる『最蓮房御返事』冒頭には、次のような一文があります。

f:id:watabeshinjun:20220108100021j:plain


「夕ざりは相構え相構えて御入り候へ、得受職人功徳法門委細申し候はん。」
(『最蓮房御返事』創価学会版御書全集1340ページ)



ここで日蓮は、最蓮房に「得受職人功徳法門」を「委細申し上げた」と述べています。
それならなぜ創価学会版御書全集には、文永9年4月15日伝とされる『得受職人功徳法門抄』が収録されないのでしょうか。実際、平楽寺版昭和新修の説明でも両抄は「関係的に大いに考究すべきもの」とされています。

f:id:watabeshinjun:20220108100043j:plain

f:id:watabeshinjun:20220108100057j:plain


また同『最蓮房御返事』後半には次のようにも書かれています。


f:id:watabeshinjun:20220108100129j:plain

「貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職灌頂せしめ奉る者なり」
(同1342ページ)



ここには「受職灌頂」という言葉がありますので、そうなると御書全集としては文永11年2月とされる『授職灌頂口伝抄』を収録しないのは不自然だと私は思います。

真蹟不存でも御書全集に収録する方針なら、それはそれで構わないと思うのですが、ある遺文は収録されているのに、その遺文と関係深いと思われる別の遺文は収録されず、しかもその理由がはっきり示されないとするなら、教団と宗祖に対する態度として甚だ不誠実だと私は考えます。まあ、そういうところが大石寺系教団の特徴なのかもしれませんが。





















創価学会と創価大学は別のもの。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて新年早々、聖教新聞箱根駅伝での創価大学チームの力走を讃える記事が目立ちました。
それはそれで構わないことですし、頑張っている創価大学の駅伝チームを、卒業生としては誇らしく思う気持ちもあります。
ただ誤解されている方が多いようなので、確認しておきたいことなのですが、創価大学創価学会は基本別のものだということです。



創価大学は学校法人創価大学設立の創価大学なのであって、創価学会と言う宗教法人の付属学校ではありません。
なので、原則として信仰は自由です。実際、昔から池田大作氏に批判的な教授も少なからず在籍していました。事実、創価大学が設立された昭和40年代後半は、言論問題等もあり、池田大作氏が社会的に批判されていた時期でもあり、教授会が「創立者には大学に来てもらう必要はない」としていたこともあります。3期生の頃になって、やっと学生たちの要望や滝山祭の実現によって池田氏が大学に来るようになった経緯もあります。



また創価学会と異なり、教授たちは創価学会の組織批判も公明党批判も普通に行います。中野毅名誉教授なども積極的に公明党批判を行っています。また中野毅氏や宮田幸一氏、菅野博史氏らは、日本宗教社会学会や法華コモンズにも在籍し、研究発表や報告を大学内外で行ってもいます。法華コモンズは日蓮宗系や正信会系、創価学会退会者等の多様な宗派が混在する研究グループです。
また宮田幸一氏のホームページを丹念に見れば、牧口常三郎全集編集の際、不収録となった長野赤化教員の転向の件など貴重な文献を読むこともできます。



それゆえに、聖教新聞箱根駅伝を報道する際、なぜか「創価学会創価大学」のようにら報道する姿勢に非常な違和感を感じます。
確かに創価大学内には創価学会信徒の学生が一定数いることは事実ですが、駅伝チームなどはほとんどがスポーツ推薦であり、創価学会信徒はほとんどいません。硬式野球部等、他のスポーツ部も同様です。
創価大学には、宗教学部が存在しません。また聖職者養成のための学部も課程も存在していないのです。
創価大学自体は、少子化から来る志願者の減少に危機感を覚え、積極的に外にアピールをしています。その経営努力は素晴らしいことです。事実、創価大学文部科学省のスーパーグローバル大学創成支援事業の牽引型指定校の一つでもあります。



それゆえ聖教新聞紙上や、一部の創価学会信徒に見られる「創価大学創価学会」のような感覚は、事実として誤っていますし、またそれを利用して会員を新聞営業や選挙活動に焚きつけることがあるとするなら、それらは手法として間違っていると私は思います。























編集方針のわからない新版御書。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて2021年11月18日に創価学会は、新版の日蓮の御書全集を発刊しました。
この御書全集、いちおう凡例はあるのですが、そもそも底本を何にしているのか全く記載がないんですね。


f:id:watabeshinjun:20220108081134j:plain

画像を挙げますが、凡例の最初に「収録においては御書全集に以下の変更を行った」と書いてはあるのですが、では何を底本にしたのかという記載は全くないんですね。また「真筆が現存する御書で、御書全集の編纂時には未発見・未公開であったため、収録されていないものがある。それらのうち、以下の32編を新たに収録した。」とあるのですが、何を底本にしたのかが全くわかりません。真蹟から翻刻したのか、真蹟から翻刻したのならきちんと実地調査を行ったのか、それとも独自に真蹟画像を入手したのか、法蔵館日蓮聖人真蹟集成から翻刻したのか、それとも現行の刊行本から採ったのか、どういうスタンスなのか全くわからないんですね。


恐らく凡例冒頭の「収録においては御書全集に以下の変更を行った」とあることから、推測するに旧創価学会版御書全集を底本として、そこに新加をして順番を変え、フォントを大きくし、句読点や読み下しを読みやすくしただけなのかという点が問われてくるでしょう。


さらに付言すれば『御義口伝』等の講義類、また『百六箇抄』等の偽撰の可能性が高い相伝書も収録するという方針が示されていますが、その理由・根拠については全く書かれていません。凡例では単に「『御義口伝』『御講聞書』を収録した」とされているだけで、その底本が何かは全く示されていないのです。

f:id:watabeshinjun:20220108081215j:plain


また「不収録」の例として『出家功徳御書』が示され、その理由を「会員の信行に資さないとして不収録とした」とあります。確かに『出家功徳御書』が創価学会信徒の信行に資するところがあまりないというのはよく理解できるのですが、反面「では、信徒の信行に資するのであれば、真偽未決や偽撰説濃厚な遺文も収録してよいのか」という疑問がわきます。

f:id:watabeshinjun:20220108081241j:plain



配列の順番も旧御書全集とほぼ変わらず、最初に十大部を配し、教理書、他宗批判、図表、講義類、諸御抄、書状と続いて最後に日興関連の文献が載るというのは、旧御書全集となんら変わりありません。わずかに『百六箇抄』や『本因妙抄』等の偽書説濃厚な富士門流系の相伝書が巻末に移動しているだけです。

f:id:watabeshinjun:20220108081305j:plain



底本の記載のない御書。
真蹟対照をどのように行ったのか、説明がない御書。
実地調査をしたのか、日蓮真蹟遺文集成から翻刻・対照したのかも説明がない凡例。
編者は単に「日蓮大聖人御書全集刊行委員会」となっていて、具体的に刊行委員の実名が誰一人としてわからない御書。
要するに誰が編集したのか、誰が何の刊行本を底本にしたのか、責任の所在や編集の方針が全く示されない御書。
それでいて、全461篇収録、2000ページを越える御書の監修を、94歳にもなる名誉会長が一人で行ったという奇妙な記載。
大石寺系らしく、非常に閉鎖的な体質を凡例からも強く感じるのは私一人でしょうか。















有徳王と覚徳比丘のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、本日は『三大秘法抄』(『三大秘法稟承事』)について、思うことを書いてみたいと思います。
まず創価学会版御書から、三大秘法における「戒壇」建立の条件を述べた部分を抜き出してみましょう。



戒壇とは王法仏法に冥じて仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」
(『三大秘法抄』創価学会版御書1022ページ)

f:id:watabeshinjun:20220103165801j:plain


広く知られているように『三大秘法抄』は真蹟不存の真偽未決です。なのでこれを過信するのは注意が必要なのですが、私が最近気になっているのは、ここにある「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」という言葉です。
元広宣部時代、顕正会対策にこの遺文はさんざん読んでいましたし、他の部分はたくさん対策に勉強したのですが、なぜかこの「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」だけは当時からスルーでした。



有徳王と覚徳比丘とは、涅槃経に出てくる人物です。
涅槃経では歓喜増益如来が亡くなり、正法が滅尽して無仏の時代となり、人々の間に疫病や貧困が溢れるようになることが説かれます。
その結果、衆生は出家僧侶たちにすがろうとしますが、仏がいない時代に慣れ、僧侶たちも私利私欲に走る姿が描かれます。
そんな時代を憂いていた有徳王、そして僧侶の堕落を嘆いて改革を訴える僧侶・覚徳比丘が現れます。
有徳王は覚徳比丘を支持し、後に覚徳比丘を殺害しようとする僧侶たちと武器を持って戦います。結果、敵の僧侶たちは倒され、覚徳比丘は守られますが、有徳王は身体に大小無数の傷を負い、命を落とすことになります。



……とまあ、そんな話なんですが、つまり武器を持って有徳王が他宗派の僧侶を悪として倒していく姿が現れた時こそが、ここでいう「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」ということになります。
つまり戒壇建立は、もしも『三大秘法抄』のこの記述を根本とするなら「為政者が武力をもって悪の僧侶たちを倒した時」が、戒壇建立の一つの条件になるということです。
とすると、やはりここでも「折伏」というのは「武力における他宗派弾圧」を意味していまして、それが末法時において実現された時が「戒壇建立の時ではないか」と『三大秘法抄』では述べられていることになります。






つまり『三大秘法抄』の記述にしたがうなら、戒壇建立は為政者が武力をもって他宗派を弾圧して、法華一乗の僧侶を用いる時こそが戒壇建立の時となるということです。これらは『観心本尊抄』の末文とも符号します。
真偽未決ながら、日蓮系の思想にはこのような国家による他宗派弾圧の思想が含まれているのですけど、今の私にはそんな考えは願い下げです。そのような考えは無効であるし、その意味で日蓮は批判されるべきだと思います。
逆に日蓮の純粋な思想の通りに布教しようとするなら、日蓮や日興たちが生涯を通して行った国家諫暁と他宗派への武力弾圧こそが、純粋な日蓮にしたがった行為となるでしょう。