いつもみなさん、ありがとうございます。
さて先日のブログで書いた、最蓮房宛の日蓮遺文についての続きです。
「最蓮房宛ての日蓮遺文について」
先日の記事では最蓮房宛の遺文全てに日蓮真蹟が現存せず、古写本も久遠寺日進等のものが一部残るのみであること、それにも関わらず創価学会版御書では、関連する最蓮房宛の遺文を全て収録していないことを述べました。今回はその続きになります。
文永9年4月13日とされる『最蓮房御返事』冒頭には、次のような一文があります。
「夕ざりは相構え相構えて御入り候へ、得受職人功徳法門委細申し候はん。」
(『最蓮房御返事』創価学会版御書全集1340ページ)
ここで日蓮は、最蓮房に「得受職人功徳法門」を「委細申し上げた」と述べています。
それならなぜ創価学会版御書全集には、文永9年4月15日伝とされる『得受職人功徳法門抄』が収録されないのでしょうか。実際、平楽寺版昭和新修の説明でも両抄は「関係的に大いに考究すべきもの」とされています。
また同『最蓮房御返事』後半には次のようにも書かれています。
「貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職灌頂せしめ奉る者なり」
(同1342ページ)
ここには「受職灌頂」という言葉がありますので、そうなると御書全集としては文永11年2月とされる『授職灌頂口伝抄』を収録しないのは不自然だと私は思います。
真蹟不存でも御書全集に収録する方針なら、それはそれで構わないと思うのですが、ある遺文は収録されているのに、その遺文と関係深いと思われる別の遺文は収録されず、しかもその理由がはっきり示されないとするなら、教団と宗祖に対する態度として甚だ不誠実だと私は考えます。まあ、そういうところが大石寺系教団の特徴なのかもしれませんが。