気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『当体蓮華抄』と『十八円満抄』




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日の記事、「最蓮房宛ての日蓮遺文について」の続きです。


「最蓮房宛ての日蓮遺文について」


上の記事では、創価学会版御書全集に収録されている『十八円満抄』を見ると、本文中に「当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く」(創価学会版御書1367ページ)と書かれており、この『十八円満抄』が『当体蓮華抄』と関係が深いことが推察されることを書いています。



そんな訳で改めて『当体蓮華抄』を平楽寺版昭和新修で読んでみました。
すると、やはり『当体蓮華抄』の中でもきちんと「十八円満」について言及されているんですね。
以下のように書かれています。

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「又五重玄義の事は伝教・天台の釈分明なり。伝教大師修善寺相伝の日記』とて四帖あるなり。其の中に五重玄義を委しく釈し給へり。日蓮又別に記す其れを委しく見るべし。伝教大師四帖の書習ふべし。先に御存知たりと雖も、別して書き出しまゐらせ候。蓮華の沙汰彼を見給ふべし。蓮に於て十八円満等の法門天台宗の奥義なり。御相伝の如し」
(『当体蓮華抄』昭和新修日蓮上人遺文全集、2088ページ)

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きちんと末文に「十八円満等の法門」と書かれています。ここでは五重玄義の「蓮」の文字から「十八円満」の法門が起こることが記されています。
そして『十八円満抄』の冒頭には、きちんとこれに対応して「蓮」の一字のことから書き起こされているのです。

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「問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり」
(『十八円満抄』創価学会版御書全集、1362ページ)



私個人は、最蓮房宛ての日蓮遺文とされるものは、真蹟不存もあり、真偽未決とされるべきと考えます。
しかしながら、もしも日蓮の御書全集に『十八円満抄』を載せるなら、関係が深いと考えられる『当体蓮華抄』も併せて収録すべきなのだと思います。
そう言った読者の便を考えない編集態度に私は違和感を覚えます。
創価学会大石寺の信徒たちの多くは『当体蓮華抄』の存在さえ知らないでしょうが、もしかすると創価学会教学部の人たちでさえ、日蓮の遺文に関して基礎的な素養が欠落しているのかもしれませんね。