気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

本を読むこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はすでに創価学会からも日蓮正宗からも離れています。
元活動家としてかつてはバリバリに宗教活動をしてきましたが、果たして意味があったでしょうか。
思い返してみて、意味があったと思うのは二つだけです。


人と会うこと
本を読むこと


これだけです。
これ以外は全て時間の無駄だったと思っています。



私は人と会うのが好きで、ひたすらに家庭訪問しては遊んでいました。
選挙のために会いに行くだけでは人から嫌われるために行っているようなものです。なのでたくさん遊びましたし、食事も行きましたし、スポーツ大会もやりました。バーベキューをやったり、母とお好み焼きパーティーをやったり、たくさんやりました。宗教の話などほとんど全くしませんでした。でもそういうことが大切なのだと、私は母から教わってきました。



もう一つは、ひたすら本を読んだことです。
学生時代からいろいろと読んできました。ただ頭が悪く、難しい専門書の類いはわかりませんでした。Twitterでは【気楽非活の気楽な読書案内】などと書いていますが、見ればおわかりのように専門的な書物は数えるほどしかなく、多くは文庫や新書ばかりです。
けれどそうやって一つ一つ学んだことしか、自分のものにならないことを、私は学生時代に嫌というほど思い知らされました。
活動家になって、広宣部・言論企画部のメンバーになった時も、ひたすら資料を集めて読んでいました。神田神保町の東陽堂書店等にはよく通い詰めたものです。



多くの方がブログを書いては、数年ほどで書くことがなくなって断筆してしまうのは、理由は簡単で、自分の中に言いたいことがなくなってしまうからです。
私は今もひたすらに文献を読んでいますし、それがなくなればブログなどあっという間に閉鎖してしまうでしょう。読むことと書くことは不可分なのです。



私はそんなに背伸びをしません。
大言壮語なことをブログで書いたりしません。
ただ読んでわかったことを淡々と書くだけです。自分の思いもいろいろ書きますが、思いと客観的な史料とは別のことです。
何度もこのブログで書いていますが、大事なことは「自分の頭で考える」ことだと思っています。どんなに頭が悪くても自分の責任で何かを理解し、自分の責任で間違えることです。
どこかの教団の教義を無前提に信じ込んでいるから、わからなくなってしまうのだと思います。
真実はどこまでいっても存在しません。
正統な仏教の教団などというものは、単なる概念上のものだけで、大石寺系教団信徒たちは「正統探しの観念の遊戯」をしているのだと思っています。
自分の頭で考えること、そのために一つ一つ文献を読むことしかないのです。



私のブログが、少しでも自分の頭で考えるための、助けになるのなら幸いです。
いつも読者の方には支えられています。本当にありがとうございます。