いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は雑誌『宗教問題』vol.40、2022年秋季号(11月30日)での、長井秀和氏を扱った記事に、私もほんの少しだけインタビューを掲載させていただきました(同42〜43ページ)。
興味のある方は同雑誌をご覧頂ければと思います。繰り返しになってしまいますが、この中で私が語りたかったことを簡単に書こうと思います。
しかし最大の問題は、その活動が無意味だったことに気づいた時に、費やしたその時間だけは等しく失われて帰って来ないことなのです。
教団の改革案を提示する元職員や元活動家たち、また幹部の子息等、それから会員信徒でありつつ他党から立候補して「本来の公明党の正統」を主張する人たちが一定数いることを私は知っています。
池田大作会長就任に端を発する顕徳会や、福島源次郎らが立ち上げた蘇生講など、そのようなグループの前例を挙げれば枚挙に暇がないのです。
だからこそ「私たちこそ創価学会の正統である」と主張することには何の意味もないのです。私は単にこんなブログを書いているだけなのであって、別に分派活動をしようとも考えませんし、また独自の教派を立ち上げるつもりもありません。
長井秀和氏はその意味で、教団の正統性にはさして関心がありません。その意味で長井氏にしか語れない教団批判もあろうかと思います。私のブログとは若干問題意識の違うところもあり、違う視点で教団批判をするなら、それはそれで意味のあることだと私は考えています。