気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

後五百歳は50年だった。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私がよく引用する法華経薬王菩薩本事品には、宿王華菩薩への付嘱については以下のように書かれています。



是故宿王華。以此薬王菩薩本事品。嘱累於汝。我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提。無令断絶。悪魔。魔民。諸天。龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也。宿王華。汝当以神通之力。守護是経。」
(『法華経』下、岩波文庫版206〜208ページ)



このように、釈迦の滅後、500年後に広宣流布していくように、釈迦は上行菩薩ではなく宿王華菩薩に語りかけます。
末法の年代の計算方法はこの辺を根拠にしていまして、第五の五百歳、つまり正法千年、像法千年の後に末法がやって来るとしていたのかと記憶しています。
ところで、この部分が鳩摩羅什の誤訳で、実は「500年」ではなくて「50年」だったとしたら、一体末法の年代はいつになってしまうのでしょう。
ではサンスクリット原典を紹介してみましょう。



「ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャ(宿王華)よ、偉大な志を持つ『サルヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章が最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドゥヴィーパに行われて、消滅しないように、また魔王パーピーヤスが襲撃の機会を得ず、悪魔の眷族や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を得ないように、余はそれを汝に委ねよう。」
(同207〜209ページ)



鳩摩羅什漢訳の部分で「後五百歳中」のところは、サンスクリット原典では「最後の五十年」と書いてあります。
ということは末法というものは、釈迦の滅後50年後のことなのでしょうか。
あるいは5番目の50年と考えて滅後200年目以降のことなのでしょうか。



鳩摩羅什法華経漢訳には、意図的な歪曲が多く見られまして、例えば方便品の十如是も同様で、本来十如是はサンスクリット原典には5種類しか書かれていません。
すると「一念三千」は、本来は「一念千五百」なのでしょうかね。



日蓮法華経読解は、彼の生きた時代背景もあって、中国仏教の安易な接種でしかなかったことをよく知るべきだと思います。そしてそれらが現代ではどのように有効性を持つのか、きちんと信仰者であるなら現実と向かい合って一定の答えを出すことが必要なことなのだと思います。


追記
不思議なことなのですが、法華経普賢菩薩勧発品における「後五百歳」のサンスクリット訳を見ると、ここではサンスクリット原典でも同様に「500年」と書かれています。ではなぜ原典で統一されていない、薬王品の50年と普賢品の500年をわざわざ誤訳して揃えたのか、個人的には不思議に感じます。

















創価学会により変容してきた大石寺。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さてブログを書いて、歴史を検証していくうちに、だんだん気づくこともあるものです。
私が改めて気付かされたのは、もともとあった大石寺の教義というものが、昭和の創価学会の影響で少しずつ変えられてきたというものです。


例えば、大石寺の三門には古来「順逆ともに来たれ」と書かれていたとされ、他宗門の人が参拝に来てもそれを拒否するというようなことをしていませんでした。それを「謗法払い」とか「謗法厳戒」と言い出して否定し出したのは、歴史的にはむしろ創価学会の方なのです。大石寺9世日有の『有師化儀抄』では法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧る事あり、之を制すべからず、既に順縁なるが故なり」(富要1-75)と述べられています。



「順逆ともに来たれ」


牧口常三郎の尋問調書から見る謗法払いの実態」



牧口常三郎氏も述べたように宗門には「謗法」という教義はあっても「謗法払い」は元来なかったものです。



また創価学会の小説『人間革命』では、戸田城聖会長が「広宣流布の模擬試験」と銘打って青年部を本山に集めます。この時、池田大作と当時の青年部たちが車駕を作り、戸田城聖を乗せて、本山内を練り歩くシーンが出てきます。
これは当時の宗門内でも問題になったことなのですが、本来、大石寺内は「下馬下乗」と言われていまして、例え法主と言えども三門に入ったら乗り物を乗ることはできないのです。その慣例を破り、車駕で練り歩いたのが当時の創価学会戸田城聖だったということです。しかも戸田城聖はこの時、本山内で豚を屠殺してドラム缶で豚汁を作り、参拝した創価学会信徒に振る舞うことまでしています。当時の宗門から見れば非常識甚だしい行為です。



現在の大石寺の布教方法が、各末寺に一定数の目標を決めさせ、発破をかけるという方法を取っていますが、本来このような布教の方法論をとってきたのは創価学会の方です。例えば昔の青年部、創価班などの例を見ても布教が達成できなかった人たちを立たせて個別に吊し上げて目標を達成させるような強硬な方法論を主張していたことを、私は当時の青年部としてよく記憶しています。



また曼荼羅本尊の安置は、現在「一幅式」といって仏壇に曼荼羅のみを奉掲するという形が一般的になっていて、それが当たり前だと皆が思っています。ところが、大石寺の御影堂では曼荼羅本尊の前に日蓮御影を置く「一幅一体式」という形も存在しました。また客殿のように曼荼羅の左右に日蓮と日興の御影を置く「一幅二体式」という形もありました。つまり創価学会の出現前は本尊の奉安様式も定まってはいなかったのです。
その証拠に、現在八王子の牧口記念会館内には「牧口顕彰室」という小さな部屋がありまして、その中に牧口常三郎氏が使っていた小さな仏壇があります。私がまだ青年部の時、その仏壇に唱題をしたことがありますが、その時の曼荼羅本尊の前には小さな日蓮御影がきちんと置かれていました。



「本尊の奉安様式」



大石寺の信徒には法華講妙観講といった講組織が複数存在していまして、大石寺の信徒組織はそれらを合わせて「法華講連合会」などと呼ばれます。
その中で新参の創価学会寄りな教義を信じる法華講たちとは違って、旧来の大石寺信徒、地元で昔から信仰をしていた古くからの檀信徒さんたちも大石寺には一部存在します。
私と私の知人たちは便宜的に彼らを「伝統講」と呼んだりしますが、その方たちは、昔からの大石寺の様子をよく覚えていまして、近年の創価学会風になってしまった法華講組織の信徒たちを意外と醒めた目で見ていたりします。



大石寺の肩を持つわけではありませんが、いい加減、大石寺創価学会寄りの慣習や教義をやめにして、伝統的な元々の小さな教団、日蓮宗興門流に戻ってもよいのかなと思います。あまり発破をかけ過ぎて、末寺の住職さんが疲弊するのも個人的には見ていてちょっとだけかわいそうに思えてきたりします。













如来神力品では付嘱がされていない。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて天台教学を前提とする日蓮の教説では、法華経如来神力品の付嘱は別付嘱であり、嘱累品の付嘱は総付嘱として考えられています。
当然のことながら、教義的には上行菩薩等、地涌の菩薩に付嘱される「別付嘱」が重要になります。



ところで、如来神力品第21をよく読んでみると、上行等に法華経が付嘱されたとは言い切れない表現になっているのです。



具体的に経文から見てみましょう。如来神力品第21で「嘱累」の文字が出てくるのは、以下の部分のみです。



「爾時仏語。上行等菩薩大衆。諸仏神力。如是無量無辺。不可思議。若我以是神力。於無量無辺。百千万億。阿僧祇劫。為嘱累故。説此経功徳。猶不能盡。」



簡単に和訳すると次のような意味になります。



「その時、釈迦は上行等の菩薩大衆に語った。諸仏の神力はこのように無量無辺・不可思議である。諸仏が神力をもって無量無辺百千万億阿僧祇劫において嘱累のためにこの経の功徳を説いても、なお言い尽くすことはできなかった。」



つまり法華経如来神力品において、釈迦が上行等菩薩大衆への「嘱累」をしようとしても、それは「猶不能盡」すなわち「言い尽くすことができなかった」という意味になります。
もっと簡単に言ってしまうと「嘱累しようと思ったけど、嘱累し切れなかった」ということで、その後に「以要言之」として要点を書いて置いておくとしたのです。



天台智顗や日蓮が、この如来神力品を「別付嘱」と解釈するのは自由ですが、文言だけを見れば如来神力品では「嘱累」が「し切れなかった」と告白しているに等しいのです。
そして如来神力品第21で「嘱累」し切れなかった法華経を、一度嘱累品第22で全員に「嘱累」し、そして如来滅後後五百歳において広宣流布を「宿王華菩薩」に改めて「嘱累」したのが、この前後の漢訳法華経の正しいストーリーになります。



本来、サンスクリット原典では嘱累品、すなわち「委任」の章節は最終章に置かれますので、神力品で付嘱し切れなかった法華経を、薬王品で改めて宿王華に付嘱するという流れになります。こちらの方がストーリーとしては自然です。



天台教学における法華経解釈は、独自の教義的視点から法華経を解釈する視点が強く、正確に法華経を読んでいるとは言い難い部分があります。


















日興が「天台沙門」と書いた写本裏面に日蓮真蹟が現存する。


いつもみなさん、ありがとうございます。



さて少し前の記事で、日蓮立正安国論』の日興による写本が現存し、そこには日興筆で日蓮自身が「天台沙門」とされていることを紹介しました。



「日興も天台沙門を認めている」


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この日興写本は信用性の高いものですが、その客観的な証拠として、この日興写本の裏面に日蓮本人の真蹟で『夢想御書』なる文章が書かれているのです。


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画像を見て頂けたら一目瞭然なのですが、きちんと日付も書かれています。
内容は以下のようなものです。



「文永九年太才壬申十月廿四日夜夢想云、来年正月九日蒙古為治罰自相国大小可向等云云」



文永9年10月24日、佐渡にいた日蓮は蒙古国に関する夢を見ます。その記憶を書き留めておこうと、当時佐渡で一緒にいた日興が書写した『立正安国論』写本の裏面に直ちに書いたものと推察されます。



つまり日興自身が日蓮について「天台沙門」と書いた写本を、日蓮本人がきちんと確認しており、それを批判した形跡も見られないということになります。








基礎教学としての『一代五時鶏図』




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮が生きていた当時、信徒たちの組織としては「大師講」というものが運営されていました。行われていたのは毎月24日、天台智顗の命日でして、対象は文字の読める弟子たちや武家たちでした。



「大師講について」



大師講の内容は、『一代五時鶏図』等の教判を示し、権実相対、法華最第一を講義する内容だったと考えられます。実際、複数の真蹟が現存する『一代五時鶏図』は、日蓮の講義の形跡を残しているものもあり、当時の日蓮門下教導の基礎教学的な位置付けを有していました。



「『一代五時図』のこと」



この『一代五時鶏図』は日蓮の講義の様子を彷彿とさせる史料と言ってよく、弟子たちも『一代五時鶏図』を模した文書を作成しています。また一部には日蓮自身が真言を方等部に配するなど、天台智顗の教判を日蓮なりに思索・検討し、乗り越えようとする部分も見られ、日蓮本人が智顗・湛然の天台教学を自分なりに咀嚼しようとする、生々しい思索の跡を伺うこともできます。



ところが、この『一代五時鶏図』は、現在の創価学会では全く省みられていません。



試しに創価学会員や法華講員の活動家さんに、『一代五時鶏図』の存在を聞いてみると良いでしょう。ほぼ100%、ほぼ全員が「知らない」「聞いたこともない」と首を横に振ることと思います。



日蓮の正統な後継を自称し、他宗派を批判している教団信徒が、日蓮存命中の信徒組織「大師講」のことも知らず、信徒に向けて基礎教学として講義されていた『一代五時鶏図』等のことも知らないなら、そもそも日蓮の基礎教学とは何なのかということになってくるのではないでしょうか。
気になって創価学会の近年の任用試験の範囲を調べてみたのですが、2016年、2017年、2018年度の任用試験では、試験範囲に「五時八教」等の教判も「五重相対」等も含まれていません。このことは調べてみて驚きでした。



日蓮における教判は、天台智顗説の五時八教を基本とし、それをどう解釈するのかということでしょう。まして大石寺系教義によるなら、大石寺26世日寛説の三重秘伝を大石寺系教義の独自性と捉えてきた筈です。
ところがそれが全くない。過去に学ばれていた筈の「五時八教」も「五重相対」も「宗教の五綱」等も、任用試験範囲ではきれいさっぱり消えている。
創価学会信徒は『一代五時鶏図』が御書に載っているにも関わらず、その存在さえ知らない。読んだことも見たことも聞いたこともない人が大多数です。



果たしてこれで日蓮門流と言えるのでしょうか。
今年の11月に、創価学会は新版の日蓮御書全集を発刊予定だそうですが、もしかしたら『一代五時鶏図』等はきれいさっぱり遺文集から削除するのかもしれませんね。読みもしないものを載せても仕方がないですから。











信仰の批判的検証と他者の尊重。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログで創価学会大石寺系の教義、また日蓮自身の教説そのものを批判的に検証していることは、ブログ読者の方なら多くがご存知のことかと思います。
私自身は龍樹の『十住毘婆沙論』を根拠に念仏思想に接近していますが、私は何も自分の信仰を絶対視してはいません。



例えば漢訳仏典そのものが既に大乗非仏説にあり、それを根拠にして私がもしも批判されるなら、その批判は大いに甘受したいところです。



私は自分の信じる教えを「正しい」と信じているのではなくて、自分が信じるに足る何かを求めているのです。
ですから、私のように考えずにあえて日蓮信仰を選ぶ人を無節操に非難中傷したりしません。また私の信仰観も他者からの批判を受け入れて、常に更新していけるものでなければならないと考えています。



ルドルフ・オットーは『聖なるもの』という著作の中で、宗教の非合理性という側面を挙げています。本来宗教は非合理的なものであり、それを信じるのは個人の自由な筈です。



私が批判してやまないのは、自分たちの信仰のみを絶対視して、他者の文献的な検証を受け入れず、それでいて他宗教を卑下して自分たちだけが正しいと主張する、ドグマティックな態度の方なのです。



私のブログ読者には日蓮正宗の未活動信徒もいますし、大石寺から完全に離れて日蓮宗等に改宗した方もいらっしゃいます。もちろん創価学会の会員でありながら、批判的に組織を見ている未活動家や非活動家、仮面活動家、仮面信濃町職員もいます。
自分たちに対する他者からの批判を受け入れ、自分たちの信仰のみを絶対視せず、他者の信仰を尊重する態度こそ、私は正しい信仰に必要な心のありようだと思っています。



無闇に他宗派の非難中傷に明け暮れ、それでいて自分たちの教団教義への批判を聞くこともできず、自分たちが正しいと信じ込んで狭い世界の中で得意になっている姿こそ、私の目からすれば「井の中の蛙大海を知らず」の姿そのものだと思います。



追記
私が創価大学在学中に、黒人公民権運動家のローザ・パークスが来学したことがあります。
彼女は講演の中で「他者との相違を尊重する関係性を築いていこう」と述べていました。





普門品の観音称名も捃拾か。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて先日の記事では観世音菩薩普門品のことを取り上げたのですが、ここで観音の名号を唱える功徳が述べられているのに、創価学会等の大石寺系教団は全く見ようとしません。
その理由は、日蓮自身が天台の捃拾(くんじゅう)説を無自覚に前提し、薬王品以下を残余として考えているからです。



事実、池田大作の『法華経智慧』でも、「もちろん、文底から見るならば『観音の名を称える」とは、観音の力の根源である久遠の本仏『南無妙法蓮華経』の名前を称えるということです。」と述べていまして、観音の名を唱えることを何の根拠も示さずに「題目を唱えること」にすり替えてしまっています。戸田城聖もまた「薬王品以下は寿量品の残りカス」とまで言い切っています。



これには天台の捃拾説を踏襲しているだけの日蓮自身に原因があります、捃拾とは「落穂拾い」の意味で、寿量品が説かれた後に余った、会衆に説かれた残りの部分を、こぼれ落ちた部分と解釈したのです。『観心本尊抄』に説かれているのはこの意味です。



「次下の嘱累品に云く『爾の時に釈迦牟尼仏・法座より起つて大神力を現じ給う右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩で乃至今以て汝等に付属す』等云云、地涌の菩薩を以て頭と為して迹化他方乃至・梵釈・四天等に此の経を嘱累し給う・十方より来る諸の分身の仏各本土に還つて故の如くし給う可し等云云、薬王品已下乃至涅槃経等は地涌の菩薩去り了つて迹化の衆他方の菩薩等の為に重ねて之を付属し給う捃拾遺嘱是なり。」
日蓮観心本尊抄創価学会版御書252ページ)



ここで日蓮は天台の五時八教判から、法華経薬王品第25以下から涅槃経までを「捃拾遺嘱」としています。しかしながら現代の文献学や歴史学的判断から見るなら、法華涅槃を五時に配するのは何の根拠もないことですし、そもそも竺法護の『正法華』やサンスクリット原典から見れば、嘱累品第22は本来最後の章節なのでして、鳩摩羅什訳の妙法華は意図的に順番が変えられているのです。



薬王品に明確にある宿王華菩薩への付嘱を一方的に無視して、上行菩薩付嘱と読み替えてしまう原因は、実は天台智顗の『法華文句』の「自法華已後有得道者。如捃拾耳。」の部分からきていまして、だからこそ日蓮は嘱累品の後の薬王品以下を捃拾、つまり功徳の「落穂拾い」として、寿量品の残滓と考えるようになってしまったのです。



薬王品以下の諸品を落穂拾い、単なる残滓として扱うのは、天台智顗の無批判な摂取に過ぎませんし、そもそも法華経そのものを尊重するようでいながら、その実、漢訳法華経薬王品以下をあまりに軽視するものです。
だからこそ池田大作が『法華経智慧』で、「称名観音」を短絡的に「唱題行」とするのは、そういう前提が日蓮の中にあり、そのことを無検証に受け入れているに過ぎないということです。
すなわち日蓮自身が天台智顗の受け売りで法華経を読んでいるに過ぎず、池田大作戸田城聖もそのことを無自覚に信じて受け入れているに過ぎないということなのです。



まあ、日蓮自身が天台智顗の教説に従順であったのは、彼が比叡山の再興を願い、純粋に最澄末法における後継を自覚していたからなのですが、現代においてその誤りに気付いたのならきちんとそれは検証して、何が現代において無効な教義で何が有効なのかを教団として示さなければ不誠実な誹りは免れ得ないでしょう。そのような真摯な学的検証を全く行わず、過去の教義を無自覚に受容し、都合が悪くなれば捨てるというだけなら、創価学会大石寺系教団は教団指導者とともに学問的に不誠実な姿勢を自ら曝け出しているに過ぎないのだと私は思います。



追記
法華経中で、この観世音菩薩普門品では非常に明確な現世利益を主張しています。それほどここには観音の名前を唱える功徳がたくさん列記されているからです。
法華経の成仏は、信仰者の死後の予言であることばかりです。その中でも現実に観音の名を唱えることの功徳をはっきりと説いているこの品は、法華経中でも異彩を放っています。
創価学会日蓮正宗が、今後も現世利益を主張し、病気が治るとか火にも焼けないとか具体的な功徳を信徒に伝えていきたいのなら、他はさておきこの普門品の教義説明は喫緊の課題でしょう。