いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私がよく引用する法華経薬王菩薩本事品には、宿王華菩薩への付嘱については以下のように書かれています。
ではサンスクリット原典を紹介してみましょう。
「ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャ(宿王華)よ、偉大な志を持つ『サルヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章が最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドゥヴィーパに行われて、消滅しないように、また魔王パーピーヤスが襲撃の機会を得ず、悪魔の眷族や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を得ないように、余はそれを汝に委ねよう。」
(同207〜209ページ)
ということは末法というものは、釈迦の滅後50年後のことなのでしょうか。
あるいは5番目の50年と考えて滅後200年目以降のことなのでしょうか。
すると「一念三千」は、本来は「一念千五百」なのでしょうかね。
日蓮の法華経読解は、彼の生きた時代背景もあって、中国仏教の安易な接種でしかなかったことをよく知るべきだと思います。そしてそれらが現代ではどのように有効性を持つのか、きちんと信仰者であるなら現実と向かい合って一定の答えを出すことが必要なことなのだと思います。
追記
不思議なことなのですが、法華経普賢菩薩勧発品における「後五百歳」のサンスクリット訳を見ると、ここではサンスクリット原典でも同様に「500年」と書かれています。ではなぜ原典で統一されていない、薬王品の50年と普賢品の500年をわざわざ誤訳して揃えたのか、個人的には不思議に感じます。