気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

信仰の批判的検証と他者の尊重。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログで創価学会大石寺系の教義、また日蓮自身の教説そのものを批判的に検証していることは、ブログ読者の方なら多くがご存知のことかと思います。
私自身は龍樹の『十住毘婆沙論』を根拠に念仏思想に接近していますが、私は何も自分の信仰を絶対視してはいません。



例えば漢訳仏典そのものが既に大乗非仏説にあり、それを根拠にして私がもしも批判されるなら、その批判は大いに甘受したいところです。



私は自分の信じる教えを「正しい」と信じているのではなくて、自分が信じるに足る何かを求めているのです。
ですから、私のように考えずにあえて日蓮信仰を選ぶ人を無節操に非難中傷したりしません。また私の信仰観も他者からの批判を受け入れて、常に更新していけるものでなければならないと考えています。



ルドルフ・オットーは『聖なるもの』という著作の中で、宗教の非合理性という側面を挙げています。本来宗教は非合理的なものであり、それを信じるのは個人の自由な筈です。



私が批判してやまないのは、自分たちの信仰のみを絶対視して、他者の文献的な検証を受け入れず、それでいて他宗教を卑下して自分たちだけが正しいと主張する、ドグマティックな態度の方なのです。



私のブログ読者には日蓮正宗の未活動信徒もいますし、大石寺から完全に離れて日蓮宗等に改宗した方もいらっしゃいます。もちろん創価学会の会員でありながら、批判的に組織を見ている未活動家や非活動家、仮面活動家、仮面信濃町職員もいます。
自分たちに対する他者からの批判を受け入れ、自分たちの信仰のみを絶対視せず、他者の信仰を尊重する態度こそ、私は正しい信仰に必要な心のありようだと思っています。



無闇に他宗派の非難中傷に明け暮れ、それでいて自分たちの教団教義への批判を聞くこともできず、自分たちが正しいと信じ込んで狭い世界の中で得意になっている姿こそ、私の目からすれば「井の中の蛙大海を知らず」の姿そのものだと思います。



追記
私が創価大学在学中に、黒人公民権運動家のローザ・パークスが来学したことがあります。
彼女は講演の中で「他者との相違を尊重する関係性を築いていこう」と述べていました。