いつもみなさん、ありがとうございます。
その理由は、日蓮自身が天台の捃拾(くんじゅう)説を無自覚に前提し、薬王品以下を残余として考えているからです。
事実、池田大作の『法華経の智慧』でも、「もちろん、文底から見るならば『観音の名を称える」とは、観音の力の根源である久遠の本仏『南無妙法蓮華経』の名前を称えるということです。」と述べていまして、観音の名を唱えることを何の根拠も示さずに「題目を唱えること」にすり替えてしまっています。戸田城聖もまた「薬王品以下は寿量品の残りカス」とまで言い切っています。
これには天台の捃拾説を踏襲しているだけの日蓮自身に原因があります、捃拾とは「落穂拾い」の意味で、寿量品が説かれた後に余った、会衆に説かれた残りの部分を、こぼれ落ちた部分と解釈したのです。『観心本尊抄』に説かれているのはこの意味です。
ここで日蓮は天台の五時八教判から、法華経薬王品第25以下から涅槃経までを「捃拾遺嘱」としています。しかしながら現代の文献学や歴史学的判断から見るなら、法華涅槃を五時に配するのは何の根拠もないことですし、そもそも竺法護の『正法華』やサンスクリット原典から見れば、嘱累品第22は本来最後の章節なのでして、鳩摩羅什訳の妙法華は意図的に順番が変えられているのです。
薬王品に明確にある宿王華菩薩への付嘱を一方的に無視して、上行菩薩付嘱と読み替えてしまう原因は、実は天台智顗の『法華文句』の「自法華已後有得道者。如捃拾耳。」の部分からきていまして、だからこそ日蓮は嘱累品の後の薬王品以下を捃拾、つまり功徳の「落穂拾い」として、寿量品の残滓と考えるようになってしまったのです。
まあ、日蓮自身が天台智顗の教説に従順であったのは、彼が比叡山の再興を願い、純粋に最澄の末法における後継を自覚していたからなのですが、現代においてその誤りに気付いたのならきちんとそれは検証して、何が現代において無効な教義で何が有効なのかを教団として示さなければ不誠実な誹りは免れ得ないでしょう。そのような真摯な学的検証を全く行わず、過去の教義を無自覚に受容し、都合が悪くなれば捨てるというだけなら、創価学会や大石寺系教団は教団指導者とともに学問的に不誠実な姿勢を自ら曝け出しているに過ぎないのだと私は思います。
追記