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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

牧口常三郎の尋問調書から見る謗法払いの実態。

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いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、今回は「謗法払い」という教義について、書いてみたいと思います。



かつて創価学会は「謗法払い」と称して、創価学会に新入会した人が、それまで持っていた信仰の仏壇や神棚、神札などを破棄したり、焼却処分したりする教義がありました。
この「謗法払い」という教義が存在することは、現在の日蓮正宗宗門では認めています。



ところが、歴史的に見ていくと、そもそも「謗法払い」のような他宗派の仏壇を破棄処分するような過激な行為は、創価学会によって始まったもので、元々の大石寺にはなかった教義であることがわかってきます。



「昭和期の創価学会の影響下の大石寺

「順逆ともに来たれ」



ところで、牧口常三郎の尋問調書に、この「謗法払い」について触れられているところがありましたので、今回は紹介してみたいと思います。



「問 謗法払とは如何なる事か。
答 謗法払と謂ふ言葉は、仏立講で使つて居る言葉で私達の方では仏立講と間違へられる虞れがありますから謗法払とは謂はずに信仰雑乱を来すものは取払へと云ふ表現で指導致して居ります。結局は信仰の邪魔になるものをすつかり取払って、綺麗薩張になるのでありますから、謗法払と同じ事であります。
宗門では謗法と謂ふ言葉は使用して居ります。
創価教育学会の信仰指導の根本観念は前に申し上げた通至上最高絶対無二の久遠本仏である処の本門の本尊に帰依するのみでありまして、それ以外の如何なるものをも信仰の対象として礼拝する事は、所謂信仰雑乱を来す結果となりますから、絶対に之を排斥拒否して居るのであります。故に私は会員に対しては勿論折伏して新たに入会する者に対しても、学会の信仰の統一上従来の信仰対象の一切を取払い焼却し或は破棄しない者は必ず現証が現はれ、法罰に依つていろいろな不幸災難が起るべしと忠告し折伏して居ります。
さうして折伏破折された者は、従来の信仰の対象一切を自ら取払ひ焼却等する者もあり又学会員の折伏者に依つて取払ひ焼却等する事もあり或は私(牧口)自ら之を取払つて焼却等したものもあります。此の為に学会関係の各地で警察問題を惹起し取調べを受けた事がありますのは前に申上げた通であります。」
(「創価教育学会々長牧口常三郎に対する訊問調書抜萃」『牧口常三郎全集』第10巻所収、210〜211ページ、第三文明社、1987年)



【編集部注によれば、この「創価教育学会々長牧口常三郎に対する訊問調書抜萃」は、内務省警保局保安課「特高月報」昭和18年(1943年)8月分(昭和18年9月20日発行)の末尾に宗教運動の資料として摘録されたものです。】



いくつか牧口常三郎の述べるところを整理してみましょう。



1、「謗法払い」という言葉は、本来は仏立講(本門仏立宗)で使われていたものである。

2、当時の日蓮正宗大石寺では「謗法」という語は使用していたが、「謗法払い」という教義は使用してはいなかった。

3、牧口常三郎初代会長当時の創価教育学会は、信仰雑乱を来すとして、入会に際しては新規入会者に対して他宗派の仏壇や神棚等を焼却・破棄処分することを行なっていた。これには牧口自身が指導して焼却等の処分をさせた事例もあった。

4、このような他宗派の仏壇の破棄処分をしていったために、創価教育学会は各地で警察問題を引き起こし、取り調べを以前から受けていた。



以上のようなことになろうかと思います。



つまり「信仰に雑乱を来す」として新規入会者に対し、他宗派の仏壇や神札等を破棄処分するように指導していたのは、牧口時代の創価教育学会なのであって、元々は日蓮正宗大石寺に「謗法払い」という教義がなかったことが推察できます。もし当時、大石寺に「謗法払い」という教義が存在したとするなら、純粋な日蓮正宗信徒である牧口がここでそのことに触れないことは不自然ですし、牧口はそもそも「謗法払い」という言葉は本門仏立宗の教義であることをきちんと強調さえしています。そして「謗法払い」という言葉は、本来は本門仏立宗で使われていた教義であり、牧口常三郎は混同される恐れがあることから「謗法払い」という語の使用を慎重に避けていることが伺えます。
しかしこれが徐々に誤用・混同されるようになり、いつしか「謗法払い」は創価学会のオリジナルの教義となって定着するようになっていったのが実態なのでしょう。



そして戦後、戸田城聖会長の率いる創価学会大石寺境内で「狸祭り事件」を引き起こし、徐々に大石寺教義が「謗法厳誡」の創価学会的な教義へと少しずつ侵食されていった、その結果として大石寺もまた創価学会と同様に「謗法払い」という言葉を平然と使うようになったというのが歴史の実態なのだろうと私は思います。



「狸祭り事件」

創価学会青年部から小笠原慈聞氏への示威行為」