気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

順逆ともに来たれ。







いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日、昭和以降の大石寺宗門が創価学会から返って影響を受けて、他宗派排斥や厳格な謗法払い等、排他性を強めてきたことをブログでやや書きました。


ところが、歴史的に見れば、かつての大石寺浅間神社に本尊を奉納もしていて、法華経が天下一同に広まると本化垂迹天照大神宮に神が宿るという、京都要法寺に近い教義を採用もしていました。


「神社に奉納された御本尊」


「法華垂迹天照大神宮のこと」


大石寺33世日元の天台伝教と天照八幡の書き方」


また小笠原慈聞氏が唱えた「神本仏迹説」は本来大石寺の教義で『本尊三度相伝』で説かれている教義なのですが、これは戸田城聖時代の創価学会から「狸祭り事件」という圧力があり、宗門としても創価学会に押される形で教義を創価学会よりに変えてきたというのが正しい史実であろうと思います。


「狸祭り事件」


「神本仏迹説の根拠」


大石寺の三門にはかつて「順逆ともに来たれ」と書かれていたことは信徒の間でも、また宗門内でも史実としてよく知られています。


例えば大石寺9世日有の『有師化儀抄』には次のように書かれています。


法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧る事あり、之を制すべからず、既に順縁なるが故なり」
(日有『有師化儀抄』富士宗学要集1-75ページ)


つまり「順逆ともに来たれ」というのは、他宗の教えであってもこちらに礼儀を尽くす者は順縁であると捉える教義だろうと思います。
歴史的に見れば、大石寺富士門流の諸本山から様々に教義上の影響を受けてきました。例えば二箇相承は北山本門寺に伝わっていたとされるものですし、日蓮を本仏とする思想は保田妙本寺14世日我の『化儀秘決』で先行して説かれたものです。また敬台院の支援で細草檀林が建てられ、八品派からの影響が大石寺にあったことは疑いないかと思います。


「敬台院と日精のこと」


日蓮本仏説の萌芽」


つまり本来の大石寺は自山に独自のアイデンティティがあったわけではなく、他山の影響を受けながら様々な教義を取り込んで宗派を形成してきたわけで、近年の他宗派排斥・批判に見られるような独善性は、本来戸田城聖由来の創価学会の「謗法払い」のような排他性が返って大石寺に影響を与えて今日に至っている、というのが偽らざる実態であろうかと思います。