いつもみなさん、ありがとうございます。
さて前回「霊山」ということの教義的意義について考えてみました。
「「霊山一会・儼然未散」とは」
そもそも「霊山一会・儼然未散」という表現自体は法華経中には説かれていません。
では霊鷲山を「浄土」とする「霊山浄土」の考えはどこに起因するものなのでしょう。
それは本来は浄土宗の考えです。浄土宗では『法華経』『無量寿経』『観無量寿経』はどれも霊鷲山で説法されており、『法華経』如来寿量品を解釈して「霊山」を「浄土」とする思想が「霊山浄土」なのです。実際『Web版新纂浄土宗大辞典』で検索すると法華経如来寿量品の文が引用され「これは後に霊山浄土の思想へと展開する」とされています。
『Web版新纂浄土宗大辞典』
また同『Web版新纂浄土宗大辞典』では「霊山浄土」の項目も存在しており、浄土宗では法華経によって浄土の世界が阿弥陀世界に限定されないことが示されたと考えていまして、「仏教思想史において漸次発達した浄土論の現れの一つと言える」としています。
日蓮もまた「霊山浄土」という言葉を使っていまして、『観心本尊抄送状』(真蹟中山現存)では「師弟共に霊山浄土に詣でて、三仏の顔貌を拝見したてまつらん」と書いています。「三仏」とは『法華経』見宝塔品で示された釈迦仏、多宝仏、十方分身仏のことですから、日蓮は法華経の会座において釈迦如来の顔を拝見したいと述べていることになります。
ということは、信徒が亡くなって「霊山に旅立つ」ということは、釈迦仏の顔を日蓮と共に拝見することなのでしょうか。
要するに創価学会側から、この「霊山浄土」に関する教学的な説明が不足しているのです。
確かに『法華経』如来寿量品には「常在此不滅」「常在霊鷲山」「我此土安穏」「我浄土不毀」「説仏寿無量」等、浄土の不滅が説かれていますが、創価学会や大石寺系信徒は亡くなった際にこの霊山浄土に旅立つことが宗教上の教義ということになるのでしょうか。如来寿量品では浄土の不滅を説くだけで、死者がそこに赴くことは示されていません。もし死んで霊山に赴くとするなら、それこそ「臨終往生」の思想になってしまいます。
「法華経薬王品における臨終往生」