気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

戸田城聖は出版業で雑誌『ルビー』も出していた。

 
 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は池田大作氏が若い頃、戸田城聖の出版業に携わっていた頃、戸田城聖の出版社から出されていた婦人雑誌とされる『ルビー』についてです。
池田大作氏は大蔵商事に入社する1年前、昭和24年(1949年)1月に戸田城聖が創設した日本正学館に入社。少年雑誌『冒険少年』(後に『少年日本』と改題)の編集に携わります。
 
ところで、この時期の戸田城聖の出版業では、婦人雑誌とされる『ルビー』も出版していました。この『ルビー』の内容はネット上で検索するとたくさん見ることができますが、婦人雑誌らしからぬ内容で半裸の女性のイラストが挿入されていたり、テーマが「恋愛と避妊」や「未亡人と性」だったり、創作読切のタイトルが「女体鱗光」や「人肌地獄」だったりと、ポルノ雑誌と呼びたくなるような内容です。
現在の創価学会でもこのことはあまり認めたがらないようで、若き日の池田大作の少年誌の編集の美談が語られますが、この『ルビー』については全くと言って良いほど語られません。

ところが、池田大作戸田城聖も、かつての日本正学館関連の出版業では、『冒険少年』とともに『ルビー』もまた出版販売されていたことを以前はきちんと認めていました。
 
まず紹介するのは、池田大作私の履歴書』(日本経済新聞社、1975年)の84ページです。この中で池田大作氏は明確に「戸田先生は戦前も時習学館を経営し、出版事業を行っていた。(中略)入社したころは婦人向けの雑誌「ルビー」と、私が編集することになった少年雑誌「冒険少年」を発行していた。」と語っています。

 
次に戸田城聖のインタビューです。出典は小口偉一編『宗教と信仰の心理学 第4巻』(河出書房、1956年)の36ページです。この中で戸田城聖ははっきりと『少年日本』とともに雑誌『ルビー』も出していたことを認めています。

 
つまり戸田城聖池田大作も、当時戸田城聖の出版業において『冒険少年』とともに『ルビー』も出していたことをかつてきちんと認めていたことになります。
 
追記
今回、貴重な『ルビー』創刊号等の画像について、読者の方から情報提供頂きました。本当に貴重な画像をありがとうございます。