気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

森重光生と和光社。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
 
さて、このブログでは戸田城聖氏が設立し、池田大作氏が営業部長に就任した「大蔵商事」という会社について何度か記事にしています。
 
 
「大蔵商事のこと。」
 
 
今の創価学会ではあまり語られないことですが、事実として戸田城聖氏が東京建設信用組合の経営危機から大蔵商事を設立したことは事実ですし、また池田大作氏が同社の営業部長として辣腕を発揮したことにより、収入が安定して結果、戸田城聖の負債も完済されることになります。池田大作氏も『私の履歴書』等で、自身が大蔵商事の営業部長であった事実を認めています。
 
 
池田大作は大蔵商事の営業部長であったことを自身で認めていた」
 
 
さて、大蔵商事の当時の専務理事は森重紀美子氏でした。
森重紀美子氏は戸田城聖氏の公式な愛人です。
池田大作氏は大蔵商事の営業部長時代に、この森重紀美子氏と信頼関係を構築していきます。事実、上記ブログ記事でも書いたところですが、池田大作創価学会の会長就任後、大蔵商事の経営から離れ、後任に森重紀美子、その甥の森重章、息子の森重光生に譲ります。(余談ながら……他の理由もあるかと思われますが、これもあってか、池田大作戸田城聖の正妻の戸田幾子との関係はあまり良好ではなかったようです。戸田幾子の葬儀も創価学会葬ではなく日蓮正宗常在寺で執り行われています)
 
 
この後、大蔵商事はその後、大道商事、そして株式会社日章へと名を変えます。この時、森重光生(戸田城聖の愛人・森重紀美子の息子)氏は和光商事、そして和光社の経営に移ります。
池田大作氏の指示がどれだけ働いていたのか定かではありません。が、少なくとも森重紀美子氏の関係者として「優遇」とも言える措置で、和光商事では印刷用の紙の発注、また和光社では創価学会関連の出版物扱いで大きな収益をあげたと言われています。
以下の画像は和光社から出版された『私の入信動機』『若き戸田城聖』の巻末ページですが、和光社から発行者として明確に「森重光生」の名前が記載されているのがわかるかと思います。

つまり池田大作氏が会長就任以降も、創価学会関連の会社、とりわけ出版会社「和光社」の経営には、戸田城聖氏の愛人である森重紀美子、その息子の森重光生が関わっており、それは癒着を疑われても仕方がない種類のものであることは言えるかと思います。多くの創価学会信徒は、森重紀美子が戸田城聖氏の公式な妾であったことも、その息子が森重光生氏で和光社の経営に携わっていたことも全く知らされていません。