気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

釈迦は誰にでも等しく法を説いた。そして自身が教主たることを否定した。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
このブログでは何度となく、釈迦の『大パーリ・ニッバーナ経』を紹介しています。釈迦の生前最後の教えです。
釈迦はアンバパーリーの林にしばらく滞在し、その後、ベールヴァ村に赴きます。
ちょうどこの頃、雨季に入り、釈迦たちは雨宿りします。雨宿りと言ってもこの頃は3ヶ月程雨で旅を止めることは普通で、雨季になれば道も流される危険性がありました。そのため釈迦の修行者たちはどこかの街や村に止まり、そこで数ヶ月を過ごす必要があったのです。
この時期に入って、釈迦は病を発症します。以下の発言からも釈迦自身が既に死期を悟っていたかのようにも読み取れるでしょう。釈迦は激しい痛みを覚えた後、アーナンダに語ります。
 
 
「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?  わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような握拳は、存在しない。」
「(中略)アーナンダよ、わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。
しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、かれの身体は健全(快適)なのである。
それ故に、この世で自らを島として、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島として、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。では、修行僧が自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるということは、どうして起るのであるか?
アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
感受について感受を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
心について心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島として、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。
アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう、ーー誰でも学ぼうと望む人々はーー。」
(『ブッダ最後の旅 大パーリ・ニッバーナ経』中村元訳、64〜67ページ、岩波文庫、1980年)

 

ここで釈迦が説いているのは、釈迦がこれまで誰にでも等しく、自分が悟ったことを説いてきたということです。一部の弟子に対して特別な秘伝や秘儀を説いたことが釈迦にはないのです。つまり釈迦の教えには元々秘密にするものがないことになります。事実、『スッタニパータ』や『ダンマパダ』等、釈迦の初期仏典は中村元氏が指摘したように難解なところが一つもなく、平易に書かれており、中村元氏はだからこそ平易に訳すことを心がけたとしているほどです。
ここで、仏教学者の奈良康明の著作から、この部分を説明したところを紹介してみたいと思います。
 
 
「「教師の握り拳」とは教師が拳を握りしめることで、すなわちケチのことである。釈尊は自分が悟り、理解したことをすべて弟子たちに伝えた。当時、他の宗派の指導者の中には、秘義と称して、容易に教えず、折をみて弟子に教える人もいた。釈尊は残りなく、誰にでも、何時でも、教え説いてきた、といっているのである。
同時に、この表現は釈尊の教えには秘密にするものが元々ない、ということをも示していると私は思う。隠すとか、隠さないとか、というよりも、「自己と法を島とする」生活実践は、各人がそれぞれに実行してゆくことであり、教えてもらっただけで「理解した」「秘伝を得た」などというべきものではなかろう。
『大パリニッバーナ経』のこの部分ではそう明らかに書いていないが、「自己と法を島とする」という教えは、仏典の別の箇所には、アーナンダが「釈尊の死後、誰を頼りに修行したらいいのか」、という質問に対して釈尊が答えたものということになっている。
しかし、死の直前になって、やっと明らかにしてくれた秘義ということではない。誰でもが実践すべき指針であり、また実践しなければ全く意味のないものである。逆をいえば、それさえ指示してくれれば、後は自分の問題となるのであって、特に指導者の存在は必要ではない。実際面では何かと解説し、励まし、見本を示してくれる指導者がいた方がベターなのは当然だが、本質的に、指導者がいなくては信仰が成り立たないとか、修行が出来ない、とかいうことではない。教義、行法の権威、根幹としての存在も必要ない。
わずかに、より具体的な形での修行の根拠となるのは戒律であって、これは「釈尊の制したるものを制し、制せざるものを制さず」ということで、とにかく、戒律は墨守された。修行者の行為の基盤はここにあるが、それも、教団を統率する指導者の有無とは本質的には関係ない。
だから、釈尊が明らかな言葉で自らの「教主」たることを否定するのも、筋が一貫した発言なのである。」
奈良康明釈尊との対話』200〜201ページ、NHKブックス、昭和63年)

 
 
ここでの氏の発言に私が付け加えるべきものは何一つもありません。
本来、釈迦の教えには特別な秘密は存在しませんでした。釈迦は誰にも分け隔てなく自身が悟ったことを説き、何の秘密もありませんでした。
そして釈迦は本質的に自身が指導者であることを否定しました。大切なことは教主や指導者や教団なのではなく、一人一人の修行者でしかないということです。