気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

池田大作は大蔵商事の営業担当であったことを自身で認めていた。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて今回はかつて池田大作氏が営業部長を勤めていた大蔵商事についてです。
昭和25年に戸田城聖が経営する東京建設信用組合が営業停止になってしまい、雲隠れして名前まで変えた戸田城聖氏は昭和25年秋に大蔵商事という小口金融等を営む会社を設立します。この会社の社長が和泉覚、専務が森重紀美子(戸田城聖の公認の妾)、そして営業部長が池田大作です。
 
 
「大蔵商事のこと」
 
 
池田大作氏が大蔵商事の営業を担当し、金貸業の仕事をしていたことは、今では全く語られることのない歴史の暗部ですが、何と池田大作氏は自身の口で「大蔵商事の営業面を担当した」と述べていたことがあるのです。
それは池田大作著『私の履歴書』です(日本経済新聞社、昭和50年)。

 
ここで池田大作氏は「……戸田先生は新たに大蔵商事という会社を設立された。私はその営業面を担当した。」(同100〜101ページ)と書いていまして、自身が大蔵商事の営業担当であったことを認めています。会社設立の時期も昭和25年暮れから昭和26年の間と述べていますので、一致します。
 
 
池田大作本人が述べていることなので、かつて戸田城聖が設立した大蔵商事という会社が存在したこと、そして池田大作氏がその営業部長であったことは事実として揺るがないと思います。
 
 
追記
今回の記事を書くにあたり、読者の方から資料提供を頂きました。いつも本当にありがとうございます。