気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『観無量寿経』も霊鷲山説なら法華涅槃時か。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて日蓮正宗創価学会顕正会は、頑なに天台教学の五時八教判を錦の御旗として信じているようですが、そもそも五時八教判は漢訳仏典の字面から判断しているだけで、文献学的に釈迦の在世との整合性など存在しません。したがって五時八教判は現代ではすでに破綻しているのです。
 
「中国仏教の五時八教判。」
 
例えば法華経霊鷲山耆闍崛山)で説かれているから、釈迦の晩年とされるマガダ国、首都ラージャグリハの近くと一致するから法華経は「法華涅槃時」に入るのだと天台教学では考えるのだそうです。
 
 
それなら『観無量寿経』はどうなるのでしょうか?
浄土三部経の『観無量寿経』は、ラージャグリハの王舎城耆闍崛山霊鷲山)で説かれていることがちゃんと経典に書かれています。

 
日蓮浄土三部経を「方等部」としますが、晩年に滞在したとされる霊鷲山で『法華経』が説かれたとするなら、同様に『観無量寿経』もまた「法華涅槃時」の説になってしまいます。
実際、『観無量寿経』冒頭で、韋提希(ヴァイデーヒー)の苦しむ姿を感じた釈迦が、霊鷲山での説法中に韋提希のもとに現れるという神通力を現じます。浄土真宗の8祖である蓮如の説によるなら、『法華経』と『観無量寿経』は同時の説であり、蓮如説に従うなら『法華経』と『観無量寿経』は同時に説かれており、釈迦は『法華経』の説法を一時中断して『観無量寿経』を説いたことになります。
 
少し丁寧に読んで考えただけでも、既に天台の五時八教判は破綻しているのです。現代では通用しない説なのだと言うことをきちんと知るべきかと思うのですが、大石寺系教団信徒さんは先入観が強すぎて、話を受け入れることができなくなっているのは非常に残念なことです。