いつもみなさん、ありがとうございます。
さて日蓮正宗や創価学会、顕正会は、頑なに天台教学の五時八教判を錦の御旗として信じているようですが、そもそも五時八教判は漢訳仏典の字面から判断しているだけで、文献学的に釈迦の在世との整合性など存在しません。したがって五時八教判は現代ではすでに破綻しているのです。
「中国仏教の五時八教判。」
それなら『観無量寿経』はどうなるのでしょうか?
実際、『観無量寿経』冒頭で、韋提希(ヴァイデーヒー)の苦しむ姿を感じた釈迦が、霊鷲山での説法中に韋提希のもとに現れるという神通力を現じます。浄土真宗の8祖である蓮如の説によるなら、『法華経』と『観無量寿経』は同時の説であり、蓮如説に従うなら『法華経』と『観無量寿経』は同時に説かれており、釈迦は『法華経』の説法を一時中断して『観無量寿経』を説いたことになります。
少し丁寧に読んで考えただけでも、既に天台の五時八教判は破綻しているのです。現代では通用しない説なのだと言うことをきちんと知るべきかと思うのですが、大石寺系教団信徒さんは先入観が強すぎて、話を受け入れることができなくなっているのは非常に残念なことです。