気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

御会式の三々九度。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は大石寺の御会式(おえしき)のことです。
そもそも御会式(おえしき)は御大会(おたいえ)ともいい、日蓮宗系の寺はどこも行います。日蓮命日の10月13日に行われる法要のことで、とりわけ池上本門寺で行われる御会式は有名です。日蓮命日の前夜は御逮夜(おたいや)と呼ばれ、各地から集まった講信徒が万灯・提灯行列を行い、池上の街を練り歩くのです。
 
 
日蓮正宗で行われる御会式は、旧暦の10月13日を新暦に直し、11月20日前後に行われますが、少し雰囲気は違います。というのも、日蓮正宗では御会式を「命日法要」ではなく「末法の本仏日蓮」であり、滅不滅の本仏の境界を喜ぶ儀式だからなのだそうです。
 
 
このブログでは何度となく日蓮本仏説を否定しています。そもそも日蓮は久遠の釈迦を本仏としていましたし、日興も『三時弘経次第』で富士山本門寺の本仏を「久成釈迦仏」としていました。日道の『三師御伝土代』でも日蓮は本仏として考えられていません。日蓮本仏説とは日蓮や日興の真蹟遺文に基づかない後世の偽作教義に過ぎないのです。
 
 
ここではひとまずそれは置くとして、ここで取り上げたいのは大石寺の御会式で行われる「三々九度の盃」の儀式についてです。
これは日蓮と本弟子六老僧が酒を酌み交わす儀式に因んで行われる三々九度に酒を回し飲みする儀式になります。以下の画像は大石寺66世細井日達の頃の三々九度の儀式の様子です(聖教新聞社編『日蓮大聖人の生涯』4ページ、聖教新聞社、昭和47年)。

素朴な疑問なのですが、なぜ日蓮日興の唯授一人の血脈相承を主張する宗派が「六老僧の酒を酌み交わす儀式」を参考に三々九度の儀式を行わなければならないのでしょう?
そもそも日興の『宗祖御遷化記録』での六老僧の選定は弘安5年10月8日です。
そして日蓮正宗が真蹟説を主張する偽書の『二箇相承』の「池上相承書」の日付は弘安5年10月13日です。
日蓮正宗は「日蓮から六老僧への付属」ではなく「日蓮日興の血脈相承」を宗是としている宗派なのではないのでしょうか?
それがなぜ本六弟子の選定の故事に倣って三々九度の儀式を行うのでしょう?
そもそも三々九度は神道の儀式であり、日蓮正宗はこれについて教義的な説明をしていません。
 
つまり日蓮日興の唯授一人の血脈相承はやはり後世の偽作教義であり、日蓮日興の相承に関する当時の儀式がそもそも史実として存在しない以上、仕方なく六老僧の弟子との師弟の絆を固める盃の儀式として御会式に定着したというのが実際なのではないかと思います。