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しかしこれは後世に作られた化儀に過ぎません。
「一本尊書写ノ事 尊仰云、大聖人御遷化之刻、六人老僧面面ニ書写之給ヘリ、然無異議」
ここでは「日尊の仰せによれば、大聖人が入滅された後、六老僧たちがそれぞれ曼荼羅本尊の書写をしたが、誰からも異議は出なかった」とされています。
まして日尊は日興の門流です。つまり日興もまた他の五老僧たちが本尊書写をすることに異論を唱えてはいなかったのです。
日蓮正宗では、法主が唯授一人の血脈相承を受け、戒壇本尊の内証を書写する故に本尊書写の権能を法主一人に限定する教えですが、そんなものは後世に創作された後付け教義に過ぎません。そうでなければなぜ日興は五老僧の本尊書写に何の異論も唱えていないのでしょう。
これは同時に、当時、戒壇本尊も実在してはいなかったことの傍証とも言えるでしょう。