いつもみなさん、ありがとうございます。
まず大石寺は次のように説明しています。
「御本尊書写の権能は、唯授一人の血脈を受けられた御法主上人お一人に限られるというのが、日蓮大聖人の教えです。『本因妙抄』に、『血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり』と仰せられています。また第五十六世日応上人は『金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず』と仰せです。したがって宗門七百年の歴史において、御法主上人以外の僧侶が、たとえ高徳、博学、能筆の方であろうとも、御本尊を書写したということはありません。ただし御隠尊猊下が御当代上人の委託を受けて、御本尊を書写されることはあります。」
整理すると「時の法主が在世中に相承をまだ受けていない一介の僧侶が、その高徳や博学に関わらず、御本尊書写をすることは今まで一度もなかった」ということになります。
ところが、大石寺の歴史を繙いてみれば、例えば日興の在世中に日目も御本尊書写をしていますし、またそれ以外の本六・新六の弟子たちの中にも御本尊書写をしている事実がわかります。
具体的に挙げてみましょう。
①寂日坊日華書写本尊、正中2年(1325年)6月3日、下条妙蓮寺蔵
②新田卿日目書写本尊、正中3年(1326年)卯月、小泉久遠寺蔵
他にもあるのですが、とりあえず三つだけ挙げてみます。
確認ですが、日興の寂年は1333年です。
つまり
①日華書写本尊は日興没の8年前
②日目書写本尊は日興没の7年前
③日仙書写本尊は日興没の1年前
ということになります。
つまり日華も日仙も大石寺が主張するところの「血脈付法」の弟子ではないはずです。
このことについて、大石寺や日興、日目等がこれらを批判したという史料は存在しません。
つまり先ほど挙げた「まだ相承を受けていない一介の僧侶が法主在世中に御本尊書写を行うことはあり得ない」というのは、大石寺の後世に作られた教義に過ぎず、日興在世中に「唯授一人の血脈」という法義など存在しなかったということになります。