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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日尊の考える本尊書写。

 
 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
 
さて、大石寺3祖日目の弟子で日尊という人物がいます。日尊は日目の遺志を継いで1333年に上洛を果たし、京都要法寺を開山した人物ですが、今回は日尊が弟子の日大(京都要法寺5世、住本寺5世)に言い残した『日尊上人仰云』(暦応3年、正本は京都要法寺に現存)から「本尊書写」について語ったところを書いてみたいと思います。
 
「一本尊書寫事 尊仰云、大聖人御遷化之刻、六人老僧面面ニ書寫之給ヘリ、然而無異議、其後面面末流、初心後心、戒行有無、曾テ以テ無糺明之、面面書寫之云云、此等次第、且ハ法滅因縁歟、五人方ハ且ク閣之、富士門跡ハ付弟一人可奉書寫之由、日興上人御遺誡也云云、其故ハ賞法燈以為立根源也云云、依之本尊銘云、仏滅後二千二百三十餘年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也云云、予モ又存此義之處、日興上人御入滅後、於一門跡面面諍論出来、互ニ成偏執多起邪論人人面面奉書寫之云云、然即佛意難測、聖意有恐、所詮於吾一門者、如本義一人可奉書寫之歟云云、
法門ノ事ハ少分申様ナリトモ、懈怠手跡不知行方、又能書ナリトモ、佛法興隆無跡形不信輩可有之、如此相互進退難辯、善悪難治定歟如何、
仰云、付之予ガ思事有之、所詮大聖人御自筆本尊彫印板當座道場六人衆徒為一同評定ト糺明信心強弱、行業久近、給仕忠否、香華供養堪否、以一揆衆義可授與之、」
(日大『日尊上人仰云』日蓮宗宗学全書2-418〜419ページ)

これだけでは難解なので、以下に簡単に通解を載せてみましょう。訳文は柳澤宏道氏の『石山本尊の研究』(増補版、はちす文庫、平成25年)収録の訳文を参考としました。
 
 
「一、本尊書写のこと
日尊師の仰せによるなら、大聖人御入滅の時、六老僧は各々曼荼羅本尊の書写を行なったが、特に異議はなかった。その後、各々の末流で初心や後心、戒行の有無等を問わず、誰もが書写をするようになってしまった。この次第こそ法義分裂の原因ではないか。五老僧方はともかく、富士門流はただ一人の弟子が書写するのが日興上人の戒めである。その理由は、聖祖を尊び、その根源を立てるためである。私もまたこの義を存するところであるが、日興上人入滅後、各門流は分裂、諍論を起こし、偏執や邪論も多く、誰もが書写をするようになってしまった。しかし仏意は測り難く、聖祖の意思も恐れあり、我々日尊門流においては本来の義のように法主一人が本尊を書写すべきである。
将来は日尊の門流においての偏執の者の出現を許し、諍論や分裂を起こす事態も考えられる。その理由は教学があっても悪筆の法主がいるかもしれず、また達筆でも布教をしない法主がいるかもしれないからだ。
日尊師の仰せによれば、これについて思うところがあり、そのような時は大聖人御自筆の本尊を板に彫って版木を作り、道場の高僧たちで検討して、信心強き者にのみ本尊を授与するようにするべきである。」
 
 
日目の弟子である日尊がここで富士門流の分裂の原因を「その資格もないものが誰もが本尊書写をするようになってしまったこと」としています。日尊はここで大胆な方法論を提案していて、本尊書写をすべき法主が存在しない時は「日蓮自筆の本尊を印板に彫み、高僧らの教義で信心の強い者のみに本尊を与えるべき」としています。
果たして日蓮正宗法主は、折伏誓願目標を信徒や末寺に提示しながらも、自身は布教実績がどれくらいあるのでしょうか。なぜ大石寺宗門の高僧たちは自ら布教を全くせずに、末寺や信徒に押し付けているのでしょう。それらの法主には果たして本尊書写をする資格があるのでしょうか。
 
 
 
追記
日尊は京都要法寺の開山です。もしかすると法華講の信徒の一部は上記記事を読んで感情的に反発し、「日尊は邪教、京都要法寺の僧だ」と否定されるかもしれません。
しかし日蓮正宗の多くの寺院を建立したのは日尊の実績です。例えば墨田区妙縁寺、仙台の仏眼寺、会津の実成寺、埼玉県宮代町の妙本寺、その他多くの日蓮正宗の寺院が日尊による建立です。日蓮正宗信徒は日尊を邪教呼ばわりするなら、正本堂や大客殿を解体したように、それらの寺院も放棄して解体すべきかと思います。日尊が邪教なら彼らは邪教の日尊が作った寺に持住していることになります。大石寺内の久成坊でさえも日尊による建立です。
 
 
「日尊が立てた寺」