いつもみなさん、ありがとうございます。さて富士門流八本山の一つでしかなかった上条大石寺は、かつて他の諸本山とともに通用があり、交流があったことは多くの史料からわかることです。事実、大石寺の14世日主は、天正15年(1587年)に京都要法寺と通用の…
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