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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

五時八教判は歴史的事実とは異なる。








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さて天台は五時八教判を説き、法華経を最第一としたと大石寺創価学会は考えますけど、天台宗の「五時八教判」は単なる漢訳経典の内容から編み出された教判であり、歴史的事実とは言えません。


中国天台宗の僧侶で諦観(たいかん、?〜971)という人物がいまして、この人物が著したとされる『天台四教義』という書物に、天台智顗が用いた考え方として「五時八教」という言葉が出てきます。


もともと諦観は高麗出身と言われていまして、第5代目の呉越王・銭弘俶からの要請により、961年に高麗王は諦観に天台の典籍を持たせて呉越に派遣したとされています。


ここでの「五時八教」は歴史的事実に基づいて書かれたものではなく、漢訳経典の内容に即して時系列を組み立てているものです。例えば『天台四教義』の冒頭で華厳時が最初に説かれた経典としますが、これは華厳経冒頭に磨羯提国の菩提樹の下において釈尊成道直後のことが内容として説かれているからで、法華経を晩年とするのは霊鷲山で説かれたと経典に書かれているだけのことです。当然のことですが、経典の編纂順序とは違いますから、ここでの五時八教はあくまで漢訳経典のストーリーの中のお話に過ぎないのであり、歴史的事実とは当然言えません。その意味で単なる想像上のストーリーから釈迦の説いた教えの順番を推し量る行為は、単なる神話以上のものを出ず、歴史的事実とは異なります。


単なる経典の中の世界観から説かれたものが五時八教であり、そこに信用性は全くないと言って良いでしょう。しかしながらそれをあたかも事実のように信じる姿勢は、単なる盲信・狂信であり、史実と神話を混同していると言ってよいかと思います。