みなさん、いつもありがとうございます。
親鸞が同書において引用する経文類についてです。
ところが、全く引用がない。
不思議なことに、天台教判で法華涅槃時に配される涅槃経について親鸞は多くの経文を引用しているのです。
そこで彼が選んだ考え方こそ聖道門を捨てて、浄土門に入るということでした。
実はこの問題意識はある程度、日蓮にもあったように思います。
というのも、日蓮は法然の『選択集』により、比叡山の法華一乗説がないがしろにされ、国が衰微していくさまを傍観できなかった。だからこそ頑ななまでに法華一乗説を主張し、さらには法華経の題目を称名するという修行法を末法の人たちのためにと考えました。
法然や親鸞の認識もまた然りで、彼らには法華経の修行法が同時代の衆生に合わないと考えたのでしょう。そもそも法華経薬王品を読めばわかるように、法華経はあまりに厳しい修行への意識を求めます。薬王品では法華経を信じる者は命懸けの決意を求められるのですから。
龍樹の言う難行道から易行道に導かれ、仏の称名によって救いを求める考えは、龍樹や源信に共通するものです。
「親鸞は法華経的教養を多分に持ちながら、法華経を表面に出さなかったのは、法華経と大無量寿経とが混乱することを恐れた為ではなかったかと思う。法華経至上の教判をそのまま用いて大無量寿経至上教判に転用した以上、法華経の本文を一文なりと引用すればそのまま法華経至上教判が蘇って来ることになるからである。よってかたくななまでに法華経を拒否した理由は、大無量寿経こそが出世本懐の経典であることを語ろうとしたに他ならないと思われるのである。」