気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

親鸞は法華経を引用しない。







みなさん、いつもありがとうございます。




さて、最近の私は親鸞の『教行信証』を読むようにしているのですが、読んでいて気づいたことがあります。
親鸞が同書において引用する経文類についてです。



実は親鸞には法華経の引用が1箇所もないのです。
わずかに孫引きで3箇所の引用が為されているのみで、親鸞法華経に関して全く無視をしているのです。



まあその理由もわからなくはないのですが、本来、親鸞もまた比叡山で学んだ者ですから、当然天台智顗の五時八教判は頭に入っていたはずです。
ところが、全く引用がない。
不思議なことに、天台教判で法華涅槃時に配される涅槃経について親鸞は多くの経文を引用しているのです。

当然の話ですが、親鸞もまた鎌倉時代の他の開祖たちと同様、「末法」において白法隠没し、仏の教えが滅んでいくという「末法」観を共有していました。



そこで彼が選んだ考え方こそ聖道門を捨てて、浄土門に入るということでした。
つまり法華経はあくまで聖道門であり、末法の人たちには浄土門なのだということなのでしょう。
実はこの問題意識はある程度、日蓮にもあったように思います。



というのも、日蓮法然の『選択集』により、比叡山の法華一乗説がないがしろにされ、国が衰微していくさまを傍観できなかった。だからこそ頑ななまでに法華一乗説を主張し、さらには法華経の題目を称名するという修行法を末法の人たちのためにと考えました。
ある意味では、日蓮比叡山の智顗や湛然由来の教義に純粋だったわけです。それが日蓮自身の宗教的な使命感だったとは言うことができるでしょう。
日蓮は「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず」とし、さらに後には「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、ただ南無妙法蓮華経なり」とまで突き進んでしまいます。


法然親鸞の認識もまた然りで、彼らには法華経の修行法が同時代の衆生に合わないと考えたのでしょう。そもそも法華経薬王品を読めばわかるように、法華経はあまりに厳しい修行への意識を求めます。薬王品では法華経を信じる者は命懸けの決意を求められるのですから。


そのような法華経一乗の考え方が鎌倉時代の人たちには有効であるか否かを考えた時に、親鸞は龍樹や法然曇鸞源信たちとともに「否」と考えたのでしょう。
無量寿経を根本にするのに、法華経教行信証で引用してしまえば、五時八教判に引き摺られて読者に迷いを与えることを親鸞自身が避けたのではないかと私は思います。ま、このへんは想像の域を出ないのですが。


龍樹の言う難行道から易行道に導かれ、仏の称名によって救いを求める考えは、龍樹や源信に共通するものです。


親鸞法華経的教養を多分に持ちながら、法華経を表面に出さなかったのは、法華経と大無量寿経とが混乱することを恐れた為ではなかったかと思う。法華経至上の教判をそのまま用いて大無量寿経至上教判に転用した以上、法華経の本文を一文なりと引用すればそのまま法華経至上教判が蘇って来ることになるからである。よってかたくななまでに法華経を拒否した理由は、大無量寿経こそが出世本懐の経典であることを語ろうとしたに他ならないと思われるのである。」
(浅田正博「『教行信証』における『法華経』不引の理由」、『印度學佛教學研究』第32巻第2号、811ページ、1984年)