気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

阿弥陀仏の名号と法華経の名号。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
さて浄土宗や浄土真宗で、阿弥陀仏の名を唱えることは『仏説阿弥陀経』に見られるところなのですが、日蓮系教団が言う『法華経』の題目のみを唱えるという教義は法華経には説かれていないように思います。
自分の読んで素直に思ったことを書いてみます。
 
例えば『仏説阿弥陀経』には「聞説阿弥陀仏、執持名号」と書かれていまして、阿弥陀仏の名を執持する者は「阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得ん」(「即得往生、阿弥陀仏、極楽国土」)とされているのです。
以下の画像は中村元他訳註『浄土三部経』(下)140ページ(岩波文庫版、1964年)より『仏説阿弥陀経』の当該部分ですが、確かにそう書いてあることがわかるかと思います。

 
事実、この『仏説阿弥陀経』の「執持名号」は、浄土宗や浄土真宗において「名号を心に堅持して忘れないこと」「名号を唱えること」とされており、法然の『阿弥陀経釈』で「執持名号とは、これ正修念仏なり」と解されています。以下の画像はWeb版新纂『浄土宗大辞典』の「執持名号」の項です。

 
ところが『法華経』には、法華経の「題目」のみを殊更に唱えることを強調する部分が出てこないのです。法華経の偉大さを強調することばかりで、『法華経』自体の受持を述べますが、それが題目と限定されてはいないのです。
法華経の名号」が説かれているのは陀羅尼品ですが、少し引用してみましょう。以下の画像は『妙法蓮華経並開結』(創価学会版、2002年)から、649ページのものです。

 
ここでは「汝等はただよく法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福は量る可からず」とされ「法華経の名を受持する」福徳が語られますが、ところが後段では「何に況んや具足して受持し、経巻に花や香、灯火を供養する者を擁護せんをや」とされていまして、ここでは「法華経の名」のみを受持することよりも、「法華経経典全体を受持し、供養すること」の福徳が強調されているのです。
 
日蓮本人はこのことには自覚的であったのか、法華経の題目を唱えるのみならず、『転重軽受法門』(真蹟現存)では「法華経一部28品全てを読むこと」の重要性も強調されています。また弘安4年の『地引御書』(身延曽存)で日蓮は、大師講において30人以上の門下に法華経全編の書写をさせています。
 
日蓮法華経一部読誦や書写も修行法として認めている」
 
したがって『法華経』それ自体には「法華経の題目のみを唱える」ことの重要性は説かれていないことになります。またそのことに自覚的であったのかは定かではありませんが、日蓮法華経の題目を唱えることばかりではなく、きちんと法華経全編を唱えたり書写したりする修行法も推奨していたことになります。