いつもみなさん、ありがとうございます。
さてこの「霊山」とは何でしょう。
ところで、過去に既に終わっている筈の法華経の虚空会の儀式に故人が帰るというのは、部外者には奇妙な表現に聞こえます。が、創価学会や大石寺系教義では「霊山一会・儼然未散」とし、霊山の大衆は「未だ去らず」としているのです。
恐らくここから、創価学会は亡くなられた故人が「霊山に旅立つ」という表現をするのかと考えられます。
ところが、この「霊山一会・儼然未散」、法華経には全く書かれていない表現です。しかもこの言葉、智顗によって語られたとされますが、その出所もよくわかりません。
ここで「霊山一会・儼然未散」が実際に書かれた文献として紹介されるのは、何と偽書説濃厚な『御義口伝』だけで、それ以外は何一つ示されていないのです。
例えば『随天台智者大師別伝』では、慧思が智顗に対して「昔日霊山にて同じく法華を聞き、宿縁の追う所今復来たれり」と述べたことが記されていますが、これは「霊山一会・儼然未散」という文ではありませんし、また「昔、縁があって霊山で慧思と智顗は共に法華経を聞いた」という趣旨でしかなく、死後に霊山に帰るということを示したものではありません。
また最澄の『天台法華宗伝法偈』の引用がなされ、「昔霊鷲山に在りて同く法華経を聴く、宿縁の追尋する所今復来り到れり(中略)慧思師と共に霊鷲山の七宝浄土の中に処して仏の妙法を説きたまうを聴く」と書かれていますが、これは同様に法華経の会座に慧思と智顗が共にいたことが説かれ、その宿縁によって慧思と智顗が共に同じ時代に生まれたことが書いてあるだけで、死後に皆がまた霊鷲山の虚空会の儀式に帰ることなどどこにも書かれていません。ただ「霊山一会・儼然未散」として虚空会の儀式が「未だ去らず」と定義しているのは偽書説濃厚の『御義口伝』だけなのです。
ちなみに「霊山一会」が書かれた日蓮遺文は『当体義抄』『御義口伝』『御講聞書』『法華宗内証仏法血脈』の4編のみ。全て真蹟不存、古写本不存、偽書説の可能性が高いものばかりです。「霊山一会・儼然未散」と併記された遺文は『御義口伝』と『法華宗内証仏法血脈』の2箇所のみです(『御義口伝』は創価学会旧版御書全集757ページ)。
法華経の虚空会の儀式がインド南部のビハール州の霊鷲山で説かれ、その儀式が終わっていないとするなら、教義的にそれを法華経から説明する必要が今後生じるかと思いますが、未だに有効な教義的説明はなされていないように私には感じられます。創価学会信徒は死後、インド南部ビハール州の霊鷲山に魂が一度帰るとするのが創価学会の教義なのでしょうか? それとも中間の世界が存在してそこで虚空会の儀式がまだ終わらず、続いているとするのでしょうか? そもそも天台教学では鳩摩羅什漢訳法華経の構成を「二処三会」とし、嘱累品で一度「虚空会」の儀式が閉幕し、薬王品以降を「後霊鷲山会」とするのではなかったのでしょうか?