気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

御書の一部を切り取って読む教団。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さてTwitterでも書いたことですが、聖教新聞(2022.11.24付)の「寸鉄」には以下のように書かれていました。

 
この意図は「言ごとにせめかえす」という御書の文を引いて、沈黙することをせずに堂々と会員信徒に創価学会の正しさを述べていくことを勧めていると推察されます。
 
ところで、この文が載っている御書とは何でしょう。それは『報恩抄』です。日蓮はこの『報恩抄』でどのような意図をもって、この「言ごとにせめかえす」という言葉を使っているのでしょう。

 
「而れども智顗法師は末座に坐して色を変ぜず言を悞らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとに・せめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥に明かなる証文を出でさせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし」
日蓮『報恩抄』創価学会旧版御書全集、299ページ)
 
ここで日蓮が述べているのは「『法雲が第一華厳等と述べて、法華経を第三の劣と判したのは何の経文に根拠があるのか、その証文を示せ』と天台智顗は述べた」というものです。
天台智顗の言葉を借りて述べているところではありますが、この趣旨は「各々の宗派の主張する法門に経文からの根拠があるのか、それを明確に示すべき」ということです。
 
創価学会日蓮正宗は果たしてきちんと経文から根拠を示しているでしょうか。
日蓮門流と言いながら、なぜか大石寺法主の書写本尊を根本本尊として拝んでいる創価学会。しかも好んで信徒や幹部が用いる御書は真蹟不存の偽書説濃厚な『御義口伝』や『生死一大事血脈抄』等ばかり。
日蓮正宗日蓮正宗で、日蓮や日興の遺文にも載らない戒壇本尊を根本にして、しかも全く客観的な物証を示すことができない。戒壇本尊は大石寺第4世日道の『御伝土代』にさえ書かれていない。身延を日興が離山する前は身延山の本堂にあったと言いながら、六老僧も弟子たちにも記録に残っていない。
 
そんな文献的根拠を一切示すことのできない創価学会が『報恩抄』の「言ごとにせめかえす」を引用するのは自己矛盾も甚だしいと私などは思います。
このことからわかる通り、彼らは日蓮の御書を全編通して読むことをせず、都合の良いところだけを切り取って読むだけの場合が非常に多いのです。切り取られた御書だけを引用すれば、前後の文脈から切り離され、日蓮の意図とはずれてしまうことは自明のことだと思うのですが、彼らの耳には届かないのかもしれません。