いつもみなさん、ありがとうございます。
この意図は「言ごとにせめかえす」という御書の文を引いて、沈黙することをせずに堂々と会員信徒に創価学会の正しさを述べていくことを勧めていると推察されます。
ところで、この文が載っている御書とは何でしょう。それは『報恩抄』です。日蓮はこの『報恩抄』でどのような意図をもって、この「言ごとにせめかえす」という言葉を使っているのでしょう。
「而れども智顗法師は末座に坐して色を変ぜず言を悞らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとに・せめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥に明かなる証文を出でさせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし」
天台智顗の言葉を借りて述べているところではありますが、この趣旨は「各々の宗派の主張する法門に経文からの根拠があるのか、それを明確に示すべき」ということです。
日蓮正宗は日蓮正宗で、日蓮や日興の遺文にも載らない戒壇本尊を根本にして、しかも全く客観的な物証を示すことができない。戒壇本尊は大石寺第4世日道の『御伝土代』にさえ書かれていない。身延を日興が離山する前は身延山の本堂にあったと言いながら、六老僧も弟子たちにも記録に残っていない。
そんな文献的根拠を一切示すことのできない創価学会が『報恩抄』の「言ごとにせめかえす」を引用するのは自己矛盾も甚だしいと私などは思います。
このことからわかる通り、彼らは日蓮の御書を全編通して読むことをせず、都合の良いところだけを切り取って読むだけの場合が非常に多いのです。切り取られた御書だけを引用すれば、前後の文脈から切り離され、日蓮の意図とはずれてしまうことは自明のことだと思うのですが、彼らの耳には届かないのかもしれません。