気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

最初から結論ありきで書かない姿勢。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログで、創価学会大石寺の批判をしますが、非難中傷ではなく、なるべく冷静に書こうと努力しているつもりです。
それがなぜかといえば、私はかつて原理主義的とも言うほど池田大作に心酔し、活動に打ち込み、また日蓮思想の普遍性をどうにか池田大作氏から読み込もうとしてきた過去があるからです。
活動家の頃は調べれば調べるほど、疑問がわき、悩み、その度に幹部に指導を受けたりもしましたが、「それは信心で受け止めるんだよ」とか「君の疑問は折伏の結果で結論を出す時なんだよ」とか、訳の分からない論理に誘導されてしまい、全く答えにならなかったことを思い出します。



池田大作氏が会長を辞任した昭和54年頃、私はまだ小さな子どもでした。
私は幼稚園3歳児の頃から朝に五座、夕に三座の勤行をしていました。仏壇には池田大作氏の写真が飾られていて、勤行を終わる時は必ず写真に頭を下げて「池田先生、おはようございます」と言い、寝る前は「池田先生、おやすみなさい」と言ってから休みました。
いつも通り私が夜の勤行で「池田先生、おやすみなさい」と言って寝ようとすると、父親が寄ってきてこういうのです。


「池田先生はもう会長じゃないんだ。だから池田先生ではないんだよ」


私は答えました。
「じゃあ、池田先生は会長じゃなくて何なの?」


「名誉会長になったんだよ」


「でも名誉会長って、きっと会長より偉いんでしょ?」



そう言って父親を困らせるような息子が私でした。
そんな訳で、男子部の活動家になった後も私には池田大作氏は絶対的な存在でした。




広宣部に所属し、他宗派との対論をする中で、教義上の疑念、また創価学会の史実の相違、大石寺教義の欺瞞などが徐々に見えてくるようになりました。
その度に幹部に質問をしました。しかしながら今に至るまでただの一度も納得のいく説明が為されたことはありませんでした。



私はその疑問を、文献から探して自分で考えて答えを見つけようとしました。もちろん池田大作氏に感じた疑念については、きちんと池田大作氏の著作(と少なくとも呼ばれているもの)を読み、書かれているものの中から答えを出そうとしてみました。
その結果、得たものこそ、このブログで書かれているようなことです。
このブログは、私が長い年月をかけて疑問を解消しようと努力し、文献を読んだ結果なのです。
だからこそ私は頭ごなしに非難中傷をすることはしません。なるべく客観的に史料を提示して、その上で私と同じように読者にも考えて頂けたらよいと思ったのです。
だから私のブログは最初から否定の結論ありきで書いたものではありません。自身の疑念を自身で検証してきた結果なのです。
私のことを「嘘つき」と呼ぶ人もいますが、私は嘘をついているのではなく、自分の中でただ信じたかったことを検証してきた結果、信じるに値しなくなってしまったことを淡々と書いているだけのことです。最初から全否定の結論ありきでブログを書いているわけではありませんし、結論を最後に読者にも委ねようとする姿勢は堅持しようと考えています。そのことは心あるブログ読者ならお読み頂いてご理解頂けると思います。




簡単に言ってしまえば、かつての私は最後まで池田大作という人を信じていたかったのです。そういう未練があったのだと思います。創価学会大石寺の信仰についても同様です。
その疑念と検証をしてきた果てに、私も非活になり、やがて母も父も亡くなります。
取り残された一人の部屋で、気楽に考えてきたことを書き残そうと始めたのがこのブログです。
冷静になって、事実を突き詰めれば突き詰めるほど、大石寺創価学会の欺瞞、教義上の破綻等が見えてきます。そしてそのことを幹部等に聞いたところで「信心で受け止めるんだよ」というすり替えの答えしか返って来ないのです。
もしもそれが違って「お前のブログは嘘だ。本当の事実は違う」と言うのであれば、納得の行くように客観的な史料に則って証明すれば良いだけのことです。その結果、私のブログに普遍性がないのであれば、いずれ批判が増え、ブログは忘れ去られるだけでしょう。ただ現状として、毎週1万件前後のアクセスがブログにあり、その度に共感のメールや連絡が常に私に入っています。



私がこのブログで提示しているのは、原則として史料と史実の検証です。
それを頭ごなしに否定する人たちの論理には、今まで散々に辟易させられました。
史料の冷静な提示から見えてくる真実は、遺された史料の質によって限定的なものもあるでしょう。しかしながら客観的な史実は史実でしかない。それ以上のことを私はここで述べようとは基本考えていません。