気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

ブッダガヤに埋納した「東洋広布」の石碑は掘り起こされて移設されていた。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は昭和36年細井日達氏と池田大作氏が一緒にインドに行き、ブッダガヤに『三大秘法抄』の銘板等を埋納した事実についてです。このことは実は『新・人間革命』第3巻「仏法西還」の章にも記録されています。
 
 
昭和36年1月28日、当時会長の池田大作氏と大石寺66世細井日達氏の一行は、「東洋広布の第一歩」として、仏教発祥の地、インドのブッダガヤに向かいました。
 
 
池田氏らは場所を選定し、ブッダガヤの大菩提寺の庭に「東洋広布」刻まれた道標、そして『三大秘法抄』及び法華経要品が刻まれた石碑を埋納します。同年2月4日のことです。
このことは記録にも残っていますし、また日蓮正宗の『富士年表』にも記載されています。
以下の画像は上藤和之・大野靖之編『革命の大河-創価学会四十五年史』(聖教新聞社、昭和50年)、及び日蓮正宗『富士年表』(平成2年増訂版)のものです。

ところが、この石碑がなぜかいつのまにか掘り起こされ、移設されているのです。
以下は創価学会公式Facebookのアカウントですが、読んで明確な通り、インド初訪問の折に埋めた石碑は現在掘り起こされて、創価菩提樹園の木の下に移設・埋納されたそうです。

 
場所の選定までして、埋納の前には細井日達の導師で勤行・唱題もして「東洋広布」を祈願して埋納したものを、あっさりと掘り起こして移設してよいものなのでしょうか。
こういうものは、埋められた場所が大事なのではないのでしょうか。そもそも仏教発祥の地ブッダガヤに「仏法西還」「東洋広布」の意義を込めて埋納した筈ですが、そういう意識はなかったのでしょうか。
こういうところにも、創価学会大石寺の歴史を大事にしない姿勢がよく現れている気がします。