いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は昭和36年、細井日達氏と池田大作氏が一緒にインドに行き、ブッダガヤに『三大秘法抄』の銘板等を埋納した事実についてです。このことは実は『新・人間革命』第3巻「仏法西還」の章にも記録されています。
このことは記録にも残っていますし、また日蓮正宗の『富士年表』にも記載されています。
ところが、この石碑がなぜかいつのまにか掘り起こされ、移設されているのです。
場所の選定までして、埋納の前には細井日達の導師で勤行・唱題もして「東洋広布」を祈願して埋納したものを、あっさりと掘り起こして移設してよいものなのでしょうか。
こういうものは、埋められた場所が大事なのではないのでしょうか。そもそも仏教発祥の地ブッダガヤに「仏法西還」「東洋広布」の意義を込めて埋納した筈ですが、そういう意識はなかったのでしょうか。