気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

内向きの教団論理から離れること。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私はこんなへんてこりんなブログを書くにあたり、まあ当たり前のことですが、文献を集めるようにしています。
常に新しい知見、新しい考えを少しずつ入れていかないと、書いている内容が堂々巡りになり、書くことがなくなってくるものです。

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ところで、現役の創価学会信徒さん、また大石寺法華講信徒さんは、多くが教団が提示する教義や限定されたり改竄された史料しか知り得ず、彼らの議論は非常に「堂々巡り」で内向きにしか通用しない議論になりがちです。



とりわけ創価学会は、2000年代に外資コンサルティング会社「アクセンチュア」と契約して法人改革を進めました。この過程の中で、アーカイブ事業の確立のために、資料については創価学会本部の認定委員会の承認を経なければならないとしたのです。



「経営コンサルティング会社との契約」



まあ、そんなわけで、そもそもの史料が教団内部から承認を経たものしか出なくなった。言い換えれば「検閲を経たものしか出てこない」わけで、都合の悪い史料等は信徒には読ませないようになったわけです。こういったところは日蓮正宗大石寺も同様で、『日蓮正宗歴代法主全書』などは限定出版で非売品であり、一般信徒には手に入らない仕掛けになっています。しかも『与日目日華書』等、いくつか都合の悪いと思われる文書など収録されない始末です。



だからこそ、私たち個人は教団の提示する教義を鵜呑みにするのではなく、きちんと検証していかなければ、教団批判が堂々巡りになるだけかと思います。いつまでも『法華経智慧』みたいなものを有難がって読んでも何にもならないし、そんな偽書説濃厚な口伝書の浅薄な現代的敷衍だけでは、世間一般には通用しません。ただ長く教団内部にいた信徒さんは、多くがそのことさえ分からなくなってしまっているんですね。


だからこそ大石寺系教団が信徒に提示する内向きの「教学」から早く離れること、そしてそれらを捨て去って新しい自分の人生を取り戻すことが大切になるのだと私は考えています。
一部の教団職員や信徒の中には「かつての創価学会は正しかったのだ」とか「池田大作先生を裏切ったのだ」等と考えて、かつての教団論理になんらかの正統性を見出そうとする人たちが存在するようです。しかしそれらは過去に囚われた姿なのであって、結局教団の提示していた過去の教義の桎梏から逃れられていないということを露呈しているのだと思います。
私が史料を読んで考えるのは、動かせない史料を元にして教団側がどのような教義を信徒に見せていたのか、その内実を自分の目で見たいと思うが故です。