気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮と釈迦の別仏説はどこから。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログで度々、大石寺の教義として日蓮本仏説を検証していますが、そもそも大石寺26世日寛の『末法相応抄』等で説かれる日蓮本仏説は「日蓮=釈迦の同仏説」であることを述べています。


「日寛の説く『日蓮=釈迦』の同仏説」

日蓮と釈迦は同体か別仏か」


ところが、現在の創価学会では明らかに日蓮と釈迦は別の存在として考えられていまして、現在の多くの創価学会員さんが考える本仏は日蓮本人であり、釈迦は仏になる前は下種益の題目を唱えていたという考え方すらあります。


どこからこのような考え方に変わってきてしまったのでしょう。
恐らくは創価学会の出現以降のことかと思います。


ところが、戸田城聖の方便品寿量品の講義等を読むと、戸田会長の頃は「教主釈尊」を「末法の本仏日蓮大聖人」と読み換える節が見られるのですが、よく読むとそれらは釈迦と日蓮の同仏説を主張していると読むことができそうです。


「大聖人は久遠元初の自受用報身如来であられます。それが第一番には五百塵点劫の釈迦と現れ、あらゆるところに、久遠元初の自受用報身の慈悲を垂れられた。」
戸田城聖日蓮正宗方便品寿量品精解』147ページ、精文館、昭和33年)


ということは、戸田城聖会長時代もまだ、創価学会は「日蓮=釈迦の同仏説」の日蓮本仏説を考えていたということになります。
以前、ブログでも書いたように、本来の日寛の教義で考えれば大石寺の伝統的な本仏説は「日蓮=釈迦の同仏説」です。戸田氏はこの説にあくまで準拠している印象を抱きます。


つまり創価学会日蓮を釈迦とは別の本仏と考えるようになるのは、池田大作氏が会長に就任して以降のことなのでしょう。