気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

日蓮と釈迦は同体か別仏か。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は末法の本仏ということの創価学会の考え方についてです。


創価学会員さんならよくご存知のことかと思いますが、大石寺系教団では釈迦と日蓮を全く別格に捉え、日蓮を下種益の本仏と考えます。



創価学会の「教学用語検索」で「末法の御本仏」を検索してみると、以下のような説明です。



末法衆生のために成仏の根源の法を説き、末法下種主師親の三徳をそなえた仏。創価学会では、末法の教主であられる日蓮大聖人を、このように拝する。

下種仏法を広める教主としての仏と、末法衆生との関係は、主師親の三徳から、以下のように拝察できる。仏が人々を成仏へと教え導く最初は、正法を説き聞かせて縁を結ばせ、成仏の種を心の田に下ろすことである(最初聞法下種下種結縁)。日蓮大聖人の仏法は、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を直ちに説いて聞かせて、成仏の種を下ろすことができるので、下種仏法である。種を植えた人が植物の世話をして実りを得るように、仏は下種して縁を結んだ人々を、成仏まで責任をもって、守り教え導き育て、自らのもてるすべてを与える。それ故、仏は主であり師であり親である。そしてこの絆は過去・現在・未来と永遠に続く。大聖人は、南無妙法蓮華経を説き示して成仏への道を開いたことにより、御自身が末法衆生に対して主師親の三徳をそなえていると、諸御抄で仰せである(237,355㌻など)。それ故、創価学会では、日蓮大聖人末法下種主師親の三徳をそなえた仏と仰ぎ、末法の御本仏として尊崇・帰依する。▷末法の教主/下種/本因妙



となります。
つまり創価学会にあっては、釈迦と日蓮は別のもので、釈迦に下種益としての南無妙法蓮華経を教えたのが本来は日蓮であるという考え方をとります。



ところが、大石寺26世堅樹日寛の『末法相応抄』を読むと、ここで説かれる日蓮本仏説はむしろ「釈迦と日蓮が一体である」とする本仏説になりまして、決して日蓮と釈迦を別仏と考えているようには文脈が見えないんですね。


具体的に引用してみましょう。


「当山古来の御相伝に云く本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事なり」
(日寛『末法相応抄』富士宗学要集3-162)


「本地自行の自受用身とは即本因妙の教主釈尊なり、本因妙の教主釈尊とは即是末法出現の蓮祖聖人の御事なり、是即行位全く同き故なり名異体同の御相伝本因妙の教主日蓮之を思ひ合す可し之を思ひ合す可し」
(同168)


ここで説かれる日蓮本仏説は「是即行位全く同き故なり名異体同の御相伝本因妙の教主日蓮」と書かれているように、釈迦と日蓮が同じものということなんですね。


この日寛の考え方は、保田妙本寺14世日我の『化儀秘決』に説かれる「末法の釈迦とは日蓮なり」とほぼ同じ考え方です(富士宗学要集1-300)。


つまり大石寺に古来より伝わっていたとされる日蓮本仏説は、保田妙本寺日我と同様、本来は釈迦と日蓮を同体異名と捉える本仏説なのでして、それが創価学会の出現以降、やや解釈が変化し、日蓮と釈迦の別仏説が出てきたのかと思います。


そういえば不思議なことなのですが、創価学会発刊の『六巻抄講義』では『末法相応抄講義』が未完のままで放置され、未だに刊行されていません。
創価学会としては『末法相応抄』を一般の会員さんにあまり読ませたくなかったのかもしれませんね。