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日興筆による『宗祖御遷化記録』(西山本門寺蔵)によると、次のように書かれています。
「一弟子六人事 不次第
一、蓮花阿闍梨 日持
一、伊與公 日頂
一、佐土公 日向
一、白蓮阿闍梨 日興
一、大國阿闍梨 日朗
一、辯阿闍梨 日昭
右六人者本弟子也、仍為向後所定如件。
弘安五年十月八日
同十三日辰時御滅御年六十一即時大地震動、
同十四日戌時御入棺、日朗日昭子時御葬也、」
ここから見てわかる通り、入棺と葬儀は日昭と日朗によって執り行われています。
つまり六老僧のメンバーは「不次第」なのですから、年長である日朗と日昭の二人が葬儀の導師を勤めることは自然なことです。
実際、その後の葬送次第でも、前陣は日朗、後陣は日昭が勤めています。日興は前陣日朗の左端にいたことが自身の手で記録されています。
ところで、日興の葬儀の際には日目が式長を勤めていたことは諸記録に見られます。
以上のことから考えて、日蓮の晩年にもまた当時の六老僧にも日興だけをとりわけ「本門弘通の大導師」としたりするような、特別な扱いというのは特に存在せず、あくまで不次第の六人の中で年長であった日朗と日昭の二人が葬儀の中心となったということであろうと思います。