気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

五重相対は優劣をつけるものではない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて日蓮門流では「五重相対」という語を教義で使います。ところで、この語の使われ方と内容は日蓮宗日蓮正宗創価学会系教団では全く異なることを皆さんはご存知でしょうか。
 
創価学会日蓮正宗の「五重相対」
 ①内外相対
 ②大小相対
 ③権実相対
 ④本迹相対
 ⑤種脱相対
 
それ以外の日蓮宗派の「五重相対」
 ①内外相対
 ②大小相対
 ③権実相対
 ④本迹相対
 ⑤教観相対
 
まず語句として5番目が異なります。創価学会系は「種脱相対」であって、他の日蓮宗派は「教観相対」と呼ばれます。
 
次にその意味の相違です。創価学会系の「五重相対」ではそれぞれに「勝劣」をつけます。例えば「種脱相対」なら釈迦の法華経は在世脱益仏法である故に劣り、末法では下種益を持つ下種仏法の題目の方が優れているとするのです。
日蓮宗系の「五重相対」はそうではありません。そもそも日蓮宗派の「五重相対」とは優劣をつける考え方ではないのです。
 
具体的に宮崎英修編『日蓮辞典』から「種脱相対」の項目を開いて紹介してみましょう。
 
「種脱相対  しゅだつそうたい 釈尊衆生教化のはたらきとして、下種益、熟益、脱益の三益を立てるが、とくに釈尊在世と滅後末法とを、下種益と脱益とに相対して分別すること。日蓮は「観心本尊抄』に「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼れは脱、此れは種なり。彼れは一品二半、此れは但だ題目の五字なり」と叙べ、釈尊在世における本已有善の機は、一品二半において解脱を得ることができ、末法における本未有善の機は、題目の五字が下種の教法となることを明記している。つまり在世の本門と末法とはともに純円の機であり、また種脱は時機によって異なるが体は全く同一で、脱益は下種の現成であり、下種は脱益に内包されるのである。教においても一品二半と題目の五字との違いはあるが、優劣を論じるものではない。日蓮正宗では、釈尊法華経は単に在世脱益の教であって、末法下種の教でないものと見て、そこに勝劣を論じ、釈尊法華経末法において無益であることを主張する。そこに種勝脱劣を立てるが、これは日蓮の義を曲解するものである。」
(宮崎英修編『日蓮辞典』127ページ、東京堂出版、昭和53年)

 
ご覧になってお分かりかと思いますが、そこに「勝劣を立てるが、これは日蓮の義を曲解する」と明らかに述べられています。
どの教団がどんな教義を構えるのも教団の勝手ですし、自由かとは思いますが、個人的には「正統な教え」が存在し、過去の教えは「劣る」とする考え方は私はあまり共感を覚えません。法華経の安楽行品では教えに関する言い争いを否定しています。また嘱累品では法華経以外の教えの価値も肯定しており、法華経以外の経典の価値を法華経自体が否定していないのです。
 
 
法華経嘱累品では法華経以外の経典も認めている」https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/08/06/000000
 
法華経自体が他宗派や他教団を否定せず、平和に共存する思想であるのですから、「五重相対」と称して、釈迦一代の教え等に「優劣」をつけるのは、そもそも法華経の精神に逆らうものであると私は思います。