いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回の記事は、ある読者からの情報提供によるものです。いつもありがとうございます。
内容は少し前に書きました、「日興は五老僧の本尊書写に異論を唱えていない」という記事に関連するものです。
「日興は五老僧の本尊書写に異論を唱えていない」
つまり日興もまた他の五老僧等の本尊書写に対し、何も異論を唱えず、事実上容認していたことになります。
この方もブログをお読み頂き、同書を確認したそうなのですが、「気楽非活がたびたび指摘されるように、当時の日蓮・日興の直弟子門下において、本尊書写はおのおの通常に行われていたことが推察できる」「本尊書写に関する唯授一人相承説は、後世の創作であることが自然かと考える」とのことでした。
中山日常(富木常忍)書写本尊、永仁3年(1295年)12月27日
民部阿闍梨・日向書写本尊、永仁4年(1296年)6月2日
大国阿闍梨・日朗書写本尊、正和2年(1313年)1月15日、および文保2年(1318年)7月3日
どうでしょうか。六老僧のうち、日向も日朗も、中山日常さえも独自の見識から本尊書写をしています。ここから考えても本尊書写の権能を唯授一人とする大石寺教義は単なる後世の創作であることがよくわかるかと思います。
追記
今回、貴重な史料を提供頂いた読者の方には改めて感謝申し上げます。ありがとうございます。