気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮の門弟はおのおの独自の見識から本尊書写をしていた。

 
 
 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回の記事は、ある読者からの情報提供によるものです。いつもありがとうございます。
内容は少し前に書きました、「日興は五老僧の本尊書写に異論を唱えていない」という記事に関連するものです。
 
「日興は五老僧の本尊書写に異論を唱えていない」
 
この記事で書いたことですが、日興門弟の日尊によるなら「日蓮入滅された後、六老僧たちがそれぞれ曼荼羅本尊の書写をしたが、誰からも異議は出なかった」のだそうです。
つまり日興もまた他の五老僧等の本尊書写に対し、何も異論を唱えず、事実上容認していたことになります。
 
今回、読者からの情報提供は宮崎英修監修、中尾堯他編による『日蓮聖人門下歴代大曼荼羅本尊集成解説』(日蓮聖人門下歴代大曼荼羅本尊集成解説刊行会)によるものです。
この方もブログをお読み頂き、同書を確認したそうなのですが、「気楽非活がたびたび指摘されるように、当時の日蓮・日興の直弟子門下において、本尊書写はおのおの通常に行われていたことが推察できる」「本尊書写に関する唯授一人相承説は、後世の創作であることが自然かと考える」とのことでした。

 
中山日常(富木常忍)書写本尊、永仁3年(1295年)12月27日

 
民部阿闍梨・日向書写本尊、永仁4年(1296年)6月2日

 
大国阿闍梨・日朗書写本尊、正和2年(1313年)1月15日、および文保2年(1318年)7月3日

 

 
どうでしょうか。六老僧のうち、日向も日朗も、中山日常さえも独自の見識から本尊書写をしています。ここから考えても本尊書写の権能を唯授一人とする大石寺教義は単なる後世の創作であることがよくわかるかと思います。
 
 
 
 
追記
今回、貴重な史料を提供頂いた読者の方には改めて感謝申し上げます。ありがとうございます。