いつもみなさん、ありがとうございます。
さて、私は日々南無阿弥陀仏の念仏を唱えながら、龍樹と親鸞の思想圏に深く共感しつつ日々を過ごしております。
創価学会や日蓮正宗に見られるような大石寺系教団の独善的教義の桎梏から解き放たれて、今は穏やかな気持ちになりつつあります。
ところで最近、宗教学者の島田裕巳氏の記事をネットで読んで、さもありなんと納得させられました。
『日本で、そして世界で宗教が捨てられようとしている 現代人の死生観「もう救いはいらない」』
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75370
これを読むとよくわかりますが、現在宗教年鑑の信者の数が大変な勢いで減っています。
創価学会だけではなく、立正佼成会も霊友会も、神社本庁も、全てものすごい勢いで信者の減少という事態を迎えています。
仏教系はなんと約8667万人から約4724万人と、4000万人近くも減っているそうです。
立正佼成会は、625万人が237万人と6割以上減りました。霊友会も、315万人が122万人と200万人近く減っています。PL(パーフェクト・リバティー)教団も、220万人が72万人と3分の1になってしまった。PL学園の名門野球部も消滅してしまい、見る影もありません。
以前、私もブログで書きましたが、創価学会は昭和30年〜50年代頃までに起こった一つの社会的なムーヴメントであったと考えています。
「存在意義の終焉」
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/12/03/000000
戦後の日本が高度経済成長に向かう中で、創価学会はいわゆる貧困層を取り込み、相互扶助組織の役割、セーフティネットの役割を果たしてきました。
そしてその構造が現代において必要かと言えば、全く必要なくなってしまいました。
人々はもはや現世利益や死後の保証などのために宗教を必要としなくなったのです。
島田氏の記事を読んで、改めてもはや宗教団体は歴史的役割を終えようとしていることが納得させられました。
例えば葬式などもそうですが、今は安く済ませる家族葬も普通に執り行われ、僧侶の来ない形式など普通です。
コロナ禍の中、神社本庁も初詣を分散、リモートで行うよう苦心している様がうかがえます。
しかし問題はコロナウィルス感染症だけの問題ではなく、そもそもの神社本庁の信者数が激減しているということなのです。
私は創価学会の元活動家であり、大石寺系教団の強い呪縛と桎梏に苦しめられてきました。
他者を呪うような精神構造になり、その後遺症のような症状に苦しむことも多かったです。
このブログで記事をたくさん書き、遺文や史料の検討を尽くし、日蓮そのものと法華経そのものを全否定して初めて安らかな気持ちになることができました。
教団に真理を担保してもらうような考え方を、もはや私は採りません。
そもそも釈迦の教えは、四聖諦を教え、十二処十八界が一切であるとし、あらゆる執着から離れることを説いたものです。
そしてナーガールジュナ(龍樹)もまた『中論』において、上座部のとりわけ説一切有部を批判し、あらゆる法の常住への執着を否定したのです。
釈迦や龍樹の教えは、今後研鑽を重ねる一人ひとりの中に活かされていくことでしょう。
宗教が教団となり、権威化する過程は、もはやマックス・ヴェーバーの指摘を待つまでもなく、眼前の大石寺系教団の実態を見れば明らかです。
どこが正義とかどこが日蓮の正統であるとかそういう問題ではありません。
私たちはもはや宗教を必要としていないのです。