いつもみなさん、ありがとうございます。
よくネット界隈では、私のこのブログが「影響力のあるブログである」と評価されることもあって、有難かったり恐縮だったりするのですが、私としては創価学会やら大石寺やらがそんな簡単に瓦解するとは考えていませんし、活動家の彼らがそんな簡単に私のブログ記事に共感するとも思っていません。
そもそも思想信条の自由を謳う日本国憲法下で何を信じるのも自由ですし、どう考えるのも自由です。
私が願っているのは、一人でも多くの信仰者の皆さんが自分の頭で考え始めることなのでして、それが私の意見と同じである必要はないと考えています。
論理が破綻していても教団に依拠して、教団が提示する教義を盲信するのも自由ですけど、必ずしも全てを盲信しなければいけない理由もまたないはずです。
教団に依拠して信仰をする時代はすでに過去の遺物であり、既に歴史的な役割を終えていると私は思います。
普遍性がないのなら、単に無視すれば良いだけだからです。
私のブログに普遍性がなく、客観性がなければ、単に私のブログは孤立するだけです。
私の人格を非難して、ブログ記事の信用性の低さを主張することは至極自由なことですけど、そればかりやっていると、単に「信頼性がないはずの気楽非活のブログをやたら気にしていて、人格否定をしているだけ」という批判をその方ご自身が受けざるを得なくなるはずですから。つまり私のブログに「一定の影響力がある」ことを無言のうちに認めていることになってしまうと思います。